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大阪地方裁判所 昭和31年(ヨ)1105号 判決

申請人 山口克己 外一名

被申請人 国際電信電話株式会社

主文

被申請会社は、申請人山口克己を被申請会社の従業員として取扱い、かつ同申請人に対し昭和三〇年四月一二日以降毎月二五日限り一ケ月金一二、三〇〇円の割合による金員を支払わなければならない。

申請人田中庸雄の本件仮処分申請はこれを却下する。

訴訟費用は申請人山口と被申請会社の間では被申請会社の負担とし、申請人田中と被申請会社の間では、被申請会社について生じた費用を二分しその一を同申請人の負担とし、その余の費用は各自の負担とする。

(注、無保証)

事実

第一、申請人両名の主張

申請人両名訴訟代理人は「被申請人は申請人両名をいずれも被申請人会社の従業員として取扱い、かつ申請人両名に対し昭和三〇年四月一二日以降一ケ月金一三、五三〇円宛を毎月二五日限り仮に支払え。」との判決を求め、その理由並びに被申請人主張事実に対する答弁として次のとおり述べた。

一、被申請人会社(以下単に会社ともいう)は、昭和二八年四月一日日本電信電話公社(以下単に電々公社という)から分離設立され、東京、大阪、神戸、長崎等全国一〇数ケ所に事務所を有し、貿易商社の利用を主とした外国との電報電話の送受を業とする株式会社である。

二、申請人両名は、昭和二八年四月一日電々公社から引継がれて会社大阪国際電報局(以下単に大阪電報局という)の通信事務員として第二運用課で国内有線通信に従事してきたもので、昭和三〇年四月現在の月平均賃金はいずれも金一三、五三〇円であり、会社全従業員(三、〇〇〇名)で組織する国際電信電話労働組合(以下単に組合という)近畿支部大阪電報分会(組合員約五〇〇名)の組合員である。

三、しかるところ、会社は昭和三〇年四月一一日付書面で、

(一)  申請人山口に対し、同人が同年三月二二日就業時間中にかかわらず(イ)所属長の承諾を得ずに自ら進んで就業場所を離れ(ロ)ことさらに言を構えて長きにわたつて上長の執務を妨げ、(ハ)就業復帰その他上長の命令に従わず就業場所の秩序をみだす言動をなした、と称し、

(二)  また、申請人田中に対し同人が前同日就業時間中にかかわらず(イ)所属長の承認を得ずに自ら進んで就業場所を離れ、(ロ)その際他の従業員に対し同様行為に出ることを勧誘しその者の就業を妨げるに至らしめ、(ハ)就業復帰その他上長の命令に従わず、かつ就業場所の秩序をみだす言動をなし、(ニ)会社の通信施設をみだりに使用した、

と称し、

いずれも就業規則第五〇条により免職する旨の意思表示をなした。

四、しかしながら、右解雇は次の諸理由により無効である。

(一)  (解雇理由の不存在)

申請人等には会社主張の如き就業規則所定の懲戒事由に該当する事実はない。すなわち、以下会社が懲戒の対象とした昭和三〇年三月二二日における大阪電報局の職場放棄につきその発生の経緯並びに当時の申請人等の行動等を詳述すれば次のとおりである。

(1) (職場の労働強化と組合の期末手当要求)

会社の電報取扱数は逐年急速に増加し、大阪電報局においても昭和三〇年一月ないし三月は前年末の繁忙度を上廻り一日二万通突破続出という急激な増加を示したが、一方同電報局における人員の増加は電報取扱数の増加に比し極めて僅少であつたため、必然的に職場の労働強化を招来し、かような労働強化の反映として昭和三〇年一月下旬頃から職場において「期末手当=生活補給金要求」の声が高まり組合大阪電報分室では申請人両名が中心となつて、職場会、職場委員会等を開催討議し一ケ月分の期末手当を生活補給金として要求すべきことを決め、さらに組合の他支部、本部等にも働らきかけ、結局同年三月上旬組合本部は全組織の要求として会社に対し「一ケ月分の期末手当」の要求書を提出することとなつた。右の次第で、組合の期末手当要求の中心となつたのが組合大阪電報分会であり、就中申請人はその中核的活動家であつた。

(2) (期末手当要求に対する会社の態度)

前記組合の要求に対し同年三月一五日第一回団体交渉が開かれたが、会社は経営のバランス上出すことができない旨不誠意な回答をなし、現場の実態を見ようとせず、団体交渉は進展しなかつたので、大阪電報分会では職場大会の名で「重役現場に来い」等の打電をなした。

(3) (会社肥爪総務部長来阪に関する団体交渉)

同年三月一九日の組合本部と会社との団交の席上、組合は「大阪電報局の電報取扱数が激増し繁忙を極めており同電報分会から前記の如き電報要請もあつたことゆえ、会社幹部はこの際大阪電報局の現場の実状を実地に見、かつ同局従業員の生の声を直接かつ具体的に聞いた上発展的回答を行うべきこと」を会社に要求したところ、会社の肥爪総務部長は右組合の要求に従い、大阪電報局に赴く旨を約して次回団交は三月二三日としその時に新しい回答ができるようにしたい旨述べた。

(4) (組合本部から大阪電報分会に対する連絡指示)

組合本部は昭和三〇年三月四日付指示第五五号で中央執行委員長名により「期末手当要求について」と題し、闘い方として本部支部分会が同時に強力に団体交渉を展開すること、特に分会の行動として(イ)各分会では要求書を出しその宣伝活動と同時に職場大会を活発化すること(ロ)この職場大会で他の日常要求を引出す活動を起しこれ等と併せて交渉する等の指示をなしたが、さらに三月一九日組合中央本部遠藤情宣部長は前記本社団交の結果肥爪総務部長が来阪することになつた経過を近畿支部に連絡し、その来阪を機に近畿支部組合員の声を直接反映させ職場の実態を直接かつ具体的に訴えるべきこと、そのために支部団交、団体傍聴、集団陳情の開催等状況に応じた行動をとるべきことを連絡指示した。

(5) (分会執行部の指示)

組合大阪電報分会は近畿支部から右同旨の連絡指示を受けたので、三月二二日午前九時から同一〇時半まで宿明者を対象とした職場大会を開催したが、右大会で昭和二九年一一月一九日越年資金闘争時に福田専務と肥爪総務部長に職場の事情を訴えた時の例にならい肥爪部長に職場に来てもらい職場代表者から実状意見を訴えることとし、同部長を職場に来るよう要請するため分会委員等代表二〇名を大阪支社に赴かしめる一方、職場では部長が職場に来た場合に休憩休息時間を利用し先例にならい実状を訴え得るように準備態勢を整えることを決定した。右決定に従い、高倉分会書記長は申請人田中等職場委員に右準備態勢を整えて待機し、支社に赴く代表者達とできる限り連絡することを指示した。

なお、既に高倉分会書記長が前日夜稲井大阪電報局長に対し電話で「二二日前例にならい肥爪総務部長と集団面会で直接実情を訴えたい」旨の申入を行つたところ、同局長はこれを承諾し、具体的条件は二二日午前中開催予定の局所長会議で肥爪部長と打合せの上連絡する旨回答していたものである。

(6) (職場大会が開かれるに至つた事情)

前記の経過から、組合大阪電報分会では、肥爪部長来局時の準備態勢をとるべく、一番昼食者(午前一一時から一二時までの休憩者)が休憩時間中休憩室に集り肥爪部長の来訪を待つていたところ、午前一一時四五分頃同部長が来訪しない旨の情報が伝えられ、さらに午前一二時頃支社に赴いた分会代表から同部長が職場に来ようとせず、殊に「電報がとまつてもそんなことは知りません大阪電報局には行きません」等と放言したことが伝えられたため、休憩室参集の者を憤激させ抗議集会的性格を帯びてきた。一二時過ぎには申請人山口等の二番休憩時間(午前一二時から午後一時まで)中の人達も休憩室に集るようになり、右二番休憩時間中の組合員が中心となり部長が来訪しないことにつき如何にすべきかを議題として職場大会を開くことの要求があり、前職場委員であつた申請人山口は参集者の意向で議長となり、部長来訪に備えての準備態勢から自然発生的に抗議集会としての職場大会に移行するに至つたが、右は異状事態の発生に応じてとられたものであつて、組合指示第五五号の範囲を逸脱したものではない。

(7) (いわゆる職場放棄の状況について)

右の職場大会は休憩休息中の者によつて行われたのであるが、組合員は悉く激昂していたため一番休憩者も殆んど職場に復帰しない状況が自然発生的に生起するに至つた(各自の休息時間が重復したことになる)。

申請人田中は当日一番休憩者であつて、午前一二時二、三分過ぎ職場に復帰して、その担当回線(神戸二番線)に就いたが、復帰者が殆んどなかつたので、かような状況では送信できないものと判断し、事務の混乱を避けるため担当回線の相手方である神戸局に対し、職場に人がいないから送信上配慮されたい趣旨の回線連絡をした。その後仕事待ちの所謂休息時間を利用して職場委員としての責任上大部分の組合員が参集している職場大会を収拾すべく休憩室に赴いたものである。

右職場大会では、当局の責任者を呼んで肥爪部長が来訪しない理由を明らかにすべきことが決められ、代表者三名が大阪電報局志水次長を呼びに行つたが、同次長は一旦これを拒否しながら、午前一二時二三分頃休憩室入口に来て一、二分何事か語つたけれども、組合員の聞えないからもつと中へ入つてくれとの要請にも応ぜず、結局何を話したか分らないままに引揚げた。その後支社に赴いた分会代表からの連絡で職場大会は中止され、午後一二時三四分頃休憩時間中の者を除き全員職場に復帰した次第である。

右の如く申請人両名は自然発生的に生じた職場大会を収拾し、その秩序維持のため努力したに止まり、組合員に対し、積極的に職場放棄を勧誘したわけでもなければ、これが指導的役割を演じたわけでもない。

(8) (申請人等の行動―解雇理由の不存在)

申請人等には被申請人主張の如き解雇理由に該当する事実はない。すなわち、

(イ)、申請人山口の場合、

(a)、本件職場放棄の当日午前一二時から同五五分頃までの間職場を離脱したとの点について、

山口の当日の昼食時間は前記のとおり二番であるから午前一二時から午後一時までは休憩時間であつて、職場離脱の事実はない。

(b) 事件発生後第二運用課内に出入し監視的態度をとつたとの点について、

山口は前叙のとおり午前一二時以後は職場大会に参加し議長となり議事の整理に当つていたのであるから右の如き事実はない。

(c)、志水次長の業務命令に従わず威圧的態度をとつたとの点について、

前叙のとおり志水次長は午前一二時二三分頃休憩室に来たが、業務命令を出した事実はない。のみならず、山口は当時休憩時間中であるから就労義務はない。また、山口が威圧的態度を示した事実もない。

(d)、職場放棄発生前第二運用課長の執務を妨害したとの点について、

右事実は否認する。もつとも、山口が当日午前一一時二〇分ないし三〇分頃から約三〇分間、慣例に従い第二運用課の福田課長に対し自己の勤務条件についての希望を申述べ話合つたことはあるが、同課長から退去を求められたり、その業務を妨害したことはない。当時福田課長が新聞を読んでいたので、山口は給料が低く生活に困ることを理由に、自己の勤務を三番勤務(午前九時から午後五時までと、翌日午後五時からその翌朝午前九時までの勤務)に変更のことにつき同課長と話合い、同課長もこれに応待していたもので、従来から従業員が手空きの職制、課長と勤務条件について就業時間中に話合うのは一般的なことであつた。なお、山口が福田課長に勤務変更のことにつき交渉するに至つた経緯は次のとおりである。すなわち、三番勤務は日勤(午前九時から午後五時までの勤務)に比し月額約一、五〇〇円の増収となるけれども、夜学に通学する社員には一週二回登校不能となるため希望者が少い実状であつたが、山口は昭和三〇年二月初頃から仕送り、生活費に不足していたので、三番勤務に欠員が生じた場合交替させてほしい旨を福田課長にかねがね申出ていた。たまたま同年二月下旬三番勤務二組に奥村某外一名の勤務変更希望者があつたので、山口は奥村と話合つてその了承を得、福田課長に了解を求めたところ、同課長は夜勤組の吉田恒男が先に三番勤務交替を申出ているから都合が悪いとの回答であつた。(従来、勤務変更希望者は当事者間で予め勤務交替の話合をし、課長の承認を得た上で勤務変更が行われていたもので、当事者間で話合が成立したのに課長が拒否した例は絶無である。)しかし、右吉田(同志社大学昼間部通学者)は昭和二九年一一月下旬通学の便宜上夜勤となつたが、その後三番勤務への交替を申出ていたものであり、山口は同人が山口に三番勤務への交替を譲る心算であることを確認していた。吉田も福田課長に「山口が交替するようきいているから」と辞退したが、福田課長は「山口はああいう人(組合活動家ということ)であるから二組三番勤務に入つてもらつては困る」といつて、勤務変更は確定しないままの状態にあつた。かような経過から、山口は前記日時に福田課長に勤務変更の事情を述べたものであり、同課長も山口の生活状況等を質問し、話合に多少の時間はかかつたにしても、同課長の職務の執行に支障を及ぼすようなことはなかつた。むしろ、かよう話合もまた職務行為の一つというべきである。

また、当日は三月二〇、二一日の連休の翌日で通信業務は閑散であつて、右話合の間山口の担当回線には一通の送受信もなかつたし、かような閑散時には一般に現業社員は職場で同僚と雑談するか、休憩室で休息するのが普通であり、課長と話合つたことにより山口の職務に支障を生じた事実も全くない。

(ロ)、申請人田中の場合

(a)、職場離脱の点について、

田中が当日午前一二時過ぎから同四五分まで職場を離れたことは事実であるが、本件職場大会は、前叙の如く殆んど大部分の組合員が職場に復帰せず、自然発生的に生じたものであることを考慮すれば、職場委員である田中のみに就労を要求することは期待可能性なきものであり、また田中に他の組合員に対し職場復帰を要求させることも難きを強うるものである。

(b)、職場放棄の行われていた間、第二運用課に出入して監視的態度をとり、また他の従業員に職場離脱を勧誘したとの点について、

右事実は否認する。もつとも、当日一二時過ぎ職場復帰の際、二番昼食に赴かうとする吉田秀文に対し休憩時間中休憩室の集会に参加するよう職場委員として伝えたことはあるが、仕事をさぼるよう勧誘したものではない。

(c)、志水次長の業務命令に従わず、威圧的態度をとり、職場放棄の実をあげるのに努めたとの点について、

前叙のとおり、志水次長が業務命令を出した事実はないし、その余の点も事実に反し、右主張の如き事実はない。

(d)、会社通信施設をほしいままに使用したとの点について、

前叙のとおり、一番昼食者が職場に復帰しないので、混乱を避けるため神戸局へ簡易局報(バタ)で回線連絡したのであつて、ほしいままに通信施設を利用したものではない。元来簡易局報は通信疎通上の連絡、都合の打合せ等を行う業務通信であるが、従業員が手空きの時に組合事務の連絡は勿論、私事にも公然と使用され、会社もこれを黙認していたものであるから、右田中の行為の如きは殊更に取上ぐべき筋合のものではない。

叙上の次第で、申請人両名には被申請人主張の解雇理由に当る行為はないから、本件解雇は失当である。

(二)  (不当労働行等)

前叙の事実から明らかなように、前記日時における申請人等の行為は正当な組合活動というべきところ、会社は申請人等が平素活発な組合活動家であるところから、申請人等の行為が正当な組合活動であるにかかわらず、解雇処分に付したものであり、従つて右解雇は不当労働行為として無効である。すなわち、

組合は「中央本部―支部―分会―職場委員」の組織構成をとり、その中で関東、近畿の二支部が組合員数も多く組合の二大中心をなしているが、近畿支部の内では大阪電報分会が組合員数が最も多く、同支部の中核分会をなしている。元来支部はいわゆる中間機関で、その構成、活動は分会の意思と行動によつて決定され、本部の指令の支部での実行は分会の行動によつてのみ可能であり、具体的には各職場の職場委員がその中核となるものであるところ、申請人山口は昭和二九年一〇月以降同三〇年一月下旬申請人田中に引きつぐまで大阪電報局第二運用課内の職場委員であり、申請人田中は山口に引続き解雇に至るまで職場委員であつた(なお、第二運用課の従業員は約一〇〇名で一勤務組を選挙区とし無記名投票の結果二五名中から一名が職場委員になる訳であり、一時定刻における勤務者中には当該職場には職場委員は一名おるにすぎない)。

しかして、申請人両名は、昭和二九年度年末補給金闘争の中心となり、特に申請人山口は同年一一月末から一二月にかけて職場の状況説明、職場交流のため上京し、また両名は昼食時間延長、人員要求、強制配置転換時の被配転者の意見反映闘争(殊に、当時職場委員であつた申請人田中は自らビラを作成し職場交渉の内容を職場の全組合員に反映させる等の努力をした。)を活発に行い、さらに申請人山口は組合近畿支部大会代議員(支部代議員は一九名で、大阪電報分会員五〇〇名の中から選出される)に連続三回選出され、申請人田中も本件解雇直前に支部代議員に選出される等職場における中心的な組合活動家であつたし、本件期末手当要求闘争においても前叙のとおりその中心メンバーとして活動していたものである。

会社は、第二運用課長を通じて右の如き申請人等を中心とする同課の組合活動の実状報告を受け、本件解雇以前から申請人等に対し同人等の組合活動を理由とする不当労働行為意図を示していたもので、このことは昭和三〇年二月申請人山口が宿明勤務を希望した折、第二運用課長が「物の考方が違うから困る。」等と述べたこと、また、また申請人両名が同年三月下旬大阪電報局長から本件職場放棄当時の状況を聴取された際に日頃の組合活動、職場交渉等についても尋問を受けたことからも明らかであつて、本件解雇により不当労働行為意図を実現したものに外ならない。

(三)  本件解雇は申請人等の信条を理由とする不利益差別扱であるから、憲法第一四条、労働基準法(以下労基法という)第三条により無効である。

前記のとおり会社第二運用課長は申請人山口に対し「物の考方が違うから」という理由で同申請人の宿明勤務の希望を排斥しているのであるが、本件解雇もまた、解雇後の団体交渉の席上会社代表者が「申請人等は優秀な人であるが、会社では好ましくない人だ。よその国へ行つてもらつたら優遇されるでしよう。」と公言している如く申請人等を共産主義者またはこれに同調する思想の持主であるとなし、これを理由になされた処分であるから右解雇は無効である。

(四)  かりに、申請人等の行為が就業規則第五〇条に該当するとしても、他の処分はともかく「免職事由」には該当しないから本件解雇は就業規則の適用を誤つたもので無効である。

(五)  本件解雇は解雇手続において違法である。

右解雇は就業規則第五〇条が予定する懲戒手続によらず、申請人両名に弁解の機会を与えずしてなされたものであるから、同条項に違反し無効である。

(六)  以上の各主張が理由がないとしても、本件解雇は叙上の事実から明らかなように解雇権の乱用であるから、無効である。

五、以上の理由から、本件解雇は無効であり、従つて申請人両名は依然会社の従業員たる地位を保有するものであるから、会社に対し解雇無効確認並びに賃金請求の本案訴訟を提起する所存であるが、申請人等は賃金を唯一の生活手段とするものであつて、右本案判決の確定をまつては解雇の取扱を受けることにより回復し難い損害を蒙るので、これを避けるため、会社に対し申請人両名をその従業員として取扱い、かつ申請人両名に対し昭和三〇年四月一二日以降毎月二五日限り金一三、五三〇円の金員の仮の支払を命ずる仮処分命令を求める。

六、(休憩休息時間に関する被申請人主張事実について、)

会社日勤者の休憩休息時間に関する被申請人の主張事実は否認する。会社就業規則第二四条によれば、休憩時間は就業の途中において一時間与えられ、また同第二三条によれば、休息時間は能率を維持し、かつ保健と安全のため所属長が必要と認めるとき別に定めるところにより就業時間中に特例として休憩時間の外に適宜設けることができるものと定められている。

しかして、右「別段の定め」はなされてないけれども、被申請人主張のとおり会社移行の際の「会社受入れ条件」に基き、昭和二七年八月一日付公社総裁室人事部長発電労第二六号が適用され、これによると通信作業に従事する日勤者には五〇分の休息時間が与えられることになつている。大阪電報局第二運用課でも日勤者に対しこれが準用され、休憩時間は一時間で被申請人主張のとおり二交替制で与えられ、また休息時間は五〇分以内で適宜職場条件に応じ従業員が自主的に判断して休息する慣行であつた。従つて、休憩休息時間は被申請人主張のように宰領の指示により与えられるものではない。宰領は休息時間が集中しないよう注意するだけで、それも単に同僚として話合う程度を出ないものである。(なお、宰領は就業規則所定の職制ではなく、単に各分担の最古参という程度のもので重要な職制ではない。しかも、分担の構成は常に変動するからその最古参者も変り、従つて宰領も自動的に変るもので固定した職制ではない。)

七、(本件による業務上の支障に関する被申請人の主張について、)

電報は迅速、正確安全をモツトーとし、一分でも経過時分の短縮に努力すべきは当然のことながら、現実の業務の面では、しかく右理想どおりには行われておらず、ある程度電文をためて一括処理する慣行が行われておるのみならず、フエイデイング関係のため一時間位電送が遅延することも決して珍しくない実状であり、また組合は最近二年位の間にストライキを相当敢行している点からみても、通信業務の特殊性の故に、本件職場集会による三、四〇分の作業遅延をとくに重大視する必要はないものといわなければならない。

八、(本件解雇に対する組合の態度についての被申請人主張に対し、)

被申請人主張のとおり組合が中央労働委員会(以下、中労委という)の職権あつ旋の結果、あつ旋員亀井事務局長提示のあつ旋案を受諾したことは認めるが、右あつ旋案は本件解雇の正当性、適法性を認めたものでないことは勿論、その妥当性を認めたものでもない。また、組合としては被申請人も主張する如く、申請人等の解雇問題を全国的組織の問題として取りあげ、右妥結に至るまで交渉、闘争を重ねてきたのであつて、このことは組合が本件解雇を不当労働行為であり不合理であることを確信していることを示すものである。争議の妥結は組合の実力如何によつて決する問題で解雇理由の正当性を証するものではない。なお、申請人等に対し犠牲者救援規程の適用がなされなかつたことは認めるが、右規程が適用されるには、「組合員が機関の決定に従い組合事務遂行に当り犠牲をこうむつた場合」であることが規程上必要とされ、かつ委員全員一致の賛成を要するところ、本件事案が組合機関の決定に従つたものかどうかについて疑義をはさむ委員があつて、委員全員の賛成を得られず、その結果右規程の適用をみなかつたにすぎず、組合大会では申請人等に対するカンパ救援を圧倒的多数で決議している。

第二、被申請人の主張

被申請人訴訟代理人は「申請人等の申請を却下する。訴訟費用は申請人等の負担とする。」との判決を求め、答弁として次のとおり述べた。

一、申請人等主張の第一の一ないし三の事実中、申請人山口の平均賃金額を除き、その余の事実はこれを認める。申請人山口の月平均賃金は昭和三〇年四月現在金一二、三〇〇円である。なお、組合は昭和三〇年一二月八日申請人両名に対する解雇を承認したので、組合規約によれば同日以降右両名は組合員たる資格を失つたものである。

二、会社が申請人両名を懲戒解雇にしたのは次の理由によるものであつて、右解雇は有効である。すなわち、

(1)  申請人山口の場合

同申請人は(イ)後記職場放棄の行われた昭和三〇年三月二二日午前一二時から同五五分までの間就業時間中にもかかわらず、所属長の承認を得ることなく自ら進んで就業場所を離れ就業しなかつた。

(ロ)職場放棄の行われていた間訴外堀井敏弘及び申請人田中とともに鉢巻姿で時々第二運用課通信室内に出入し、課内の状況を監視する態度をとつた。

(ハ)同日午前一二時一八分頃休憩室で志水次長が集合中の者に対し就業するよう命令した際至近の位置におり、この業務命令を的確に聞いているにかかわらず、これに従わなかつたのみならず、終始あたかも同次長を威圧監視する如き態度を示して職場放棄の実をあげるのに努めた。

(ニ)同日午前一一時一五分から約四〇分にわたり第二運用課福田課長席に迫り、同課長より退去を求められたにかかわらず、これに応ぜず現場の運行状況を監督すべき同課長の業務を妨害する行為をなした。

ものであり、右各所為は会社就業規則第五〇条第二、第三及び第一八号に該当する。

(2)  申請人田中の場合

同申請人は(イ)前記職場放棄の行われた時間中、就業時間中にもかかわらず、所属長の承認を得ることなく、自ら進んで就業場所を離れ就業しなかつた。

(ロ)右職場放棄の行われていた間、訴外堀井敏弘、申請人山口とともに鉢巻姿で第二運用課通信室内に出入し、課内の状況を監視する態度をとり、また同課員吉田秀文に対し仕事を怠り休憩室に参集するよう勧誘した。

(ハ)前記志水次長が就業するよう命令した際、申請人山口同様至近の位置にあつて、右命令を聞いているにかかわらず、これに従わず終始同次長を威圧監視する如き態度を示し、職場放棄の実をあげるのに努めた。

(ニ)同日午前一二時頃当時自己の担当線である大阪神戸一番線をほしいままに使用して神戸国際電報局に対し、一二時から職場放棄を行うため通信を停止する旨連絡した。

ものであつて、右各所為は就業規則第五〇条第一ないし第三号並びに第一八号に該当する。そこで、会社は後記(三、(三))のとおり諸般の事情を慎重検討の上、懲戒解雇を相当と認め、前記条項を各適用して申請人両名を懲戒解雇に処したものである。

三、右の次第で、本件解雇は有効であつて、申請人等の主張は次に述べるとおりすべて理由がない。

(一)  申請人等主張四(一)について、

(1) 右主張事実中(1)について、

右事実中、昭和三〇年三月一五日組合から会社に対し期末手当要求書の提出があつたことは認めるが、その余は争う。

(イ)右の期末手当要求とは昭和二九年度末における期末手当として本給及び扶養手当の一ケ月分を支給されたいとの趣旨のもので、右要求書提出に当り組合から「期末手当という表現を使つているが、現在の生活実態が苦しく生活費が不足しているという点から要求したものである」旨の補足的説明があつた。右事実から明らかな如く本件期末手当要求は組合員の生活費が不足しているという点から生活補給金として打出されたものであつて、全組合員に支給を求めるもので地域的な要求ではなく、いわんや大阪電報局における労働強化や繁忙を理由としたものではない。

(ロ)のみならず、申請人等の労働強化の点の主張は事実と相違する。すなわち、大阪電報局における電報の総取扱数は昭和二八年度と昭和二九年度とでは一パーセント増にすぎない。一方人員は昭和二九年三月末の稼動人員(訓練中の者を除く)五〇一名、同三〇年三月末は五三一名で五パーセント増となつている。のみならず、会社はその発足以来業務の改善を研究し、新通信方式を採用する等機械化に努めておるのであつて、その結果取扱通数に比較し少なからず労働負担の軽減になつている。これを大阪電報局第二運用課だけについてみるに、取扱通数は昭和二九年度は前年度に比し七、二パーセント減となつており、同年一月四、四パーセント減、二月〇、九パーセント増、三月〇、五パーセント増であるにかかわらず、人員では三月末稼動人員は一〇三名で同数である。のみならず、二九年度に入つてから東京三番線、船場一番線の日曜運用中止(日曜日は電報通数が少いので閑散回線の運用を中止し他回線に集中することにより要員配置の合理化を図つた)、長崎線新通信方式採用、福岡線廃止等労働軽減の措置を講じている次第である。

(2) 同(2)について、

右事実中、申請人等主張の日会社が組合に対し文書でその要求に応じ難い旨の回答をしたことは認めるが、その余は否認する。会社は右要求を慎重に検討した結果、昭和三〇年三月現在の従業員の平均基準内賃金が二四、〇九八円で他企業に比し相当高水準であり、これを同種事業である電々公社従業員の給与水準一六、〇三四円(昭和三〇年度公社予算書)に比すれば遥かに高いこと、さらに昭和二九年度中に支給した臨時給与(夏期手当、年末手当)の合計額は一人平均九〇、四四五円で一ケ月七、五三七円に及んでいること等からみて生活補給金として支給する必要と理由を認め得ないものとして拒否したものである。

(3) 同(3)について

右事実中、申請人等主張の日に本社で団体交渉が開かれ、その席上会社側肥爪総務部長が組合の要望により大阪に行く旨言明したとの点は認める。なお、肥爪総務部長が大阪に赴くことになつた経緯は次のとおりである。すなわち、右団交の席上組合側から「大阪電報、船場その他近畿からの強い要望であるが、明日からの連休に大阪へ重役が来て従業員がどれだけ困つているか、どの位切実であるか実態を調べてくれと頼まれているので、大阪へ行つてほしい」との要求があり、会社側はこれを拒否し、さらに交渉継続中、組合側から明日、明後日の連休に重役会議を開き手当支給を検討せよとの要求がなされた。会社はかねて大阪支社管内の局所長に対し期末手当要求に対する会社の方針ないし団交の経過を説明するとともに、各局所の具体的事情を聴取する必要を感じていたので諸般の事情を考慮の上同部長が大阪へ赴くことを決定したものである。

(4) 同(4)について、

右事実は争う。

(5) 同(5)について、

右事実中、申請人等主張日時に大阪電報局内で宿明者により職場大会が開かれたこと(ただし、参加人員は組合員約四〇名)、並びに高倉分会書記長を含む分会組合員約二〇名が同日大阪支社に来たことは認めるが、稲井大阪電報局長が高倉分会書記長の申入に応じ、肥爪部長との懇談を承諾したとの点は否認し、その余の事実は争う。なお、昭和二九年一一月一九日会社側福田専務と肥爪総務部長が大阪電報局で従業員と懇談した事実はあるが、右は次に述べるとおり会社が主催したもので、申請人等主張の如く組合員の職場大会に重役が出席したという性質のものではないし、またそのようなことがなされた先例もない。すなわち、会社重役と従業員との間の懇談会は会社がその業務として行うものであり、これを開くについての従来のやり方は、予め重役から局所長にその旨の通知があり、局所長は重役の都合、作業状況を勘案し、関係者と打合せた上懇談会を開くか否かを決定するのであつて、この点は組合執行部の要請に基いて懇談会がもたれるときといえども同様である。しかして、懇談会を開く場合は重役のスケジユールに照して日時を予定し、作業の面よりする人員配置等の点から各課の出席者数及び場所を決定した上で各課長に懇談会の出席人員を通知し、各課長は作業状況を勘案して課員中から出席者を指名して出席させているが、業務として行われるものゆえ課長指名により出席した場合は有給として取扱われる。ちなみに、前記福田専務来阪時は大阪電報分会役員から懇談してほしい旨同電報局長に申入れがあり、福田専務も懇談したいとの意向であつたので、一般従業員二九名(第一運用課五名、第二運用課六名検査課サービス課七名託送受付配達監査各課各二名国際計算課三名)を出席させて懇談することとし、各課において出席者を指名させ、これ等の者との間で行われたものである(もつとも、指名された者以外の者で休息時間該当者や就業時間外の者も傍聴した結果人数は予定人員の概ね倍になつた)。

(6) 同(6)について、

右事実中、肥爪総務部長が大阪電報局に行かなかつたこと、並びに当日正午頃から申請人等主張のとおり職場大会が開かれた点は認めるが、その余の点は否認する。

1肥爪総務部長来阪時の状況は次のとおりであり、同部長は大阪で組合近畿支部役員や分会役員と交渉の機会を有していたのであるから、進んで大阪電報局に行く必要はなかつた。すなわち、三月二二日朝大阪支社で同部長出席の上局所長会議を開催中、支社労務係を通じ組合近畿支部山田支部長から「本部団交の結果により来阪したのであるから交渉に応じ組合員の実情を聞いてほしい。本日の交渉は本部から委任されている」旨期末手当その他を議題として交渉の申入があつたので、当日午後三時から交渉することに取決めた。その後、午前一一時頃前記大阪電報分会組合員約二〇名(東良分会長、高倉書記長、外二名の分会執行委員を含み分会の首脳部を網羅している。)が支社に来て同部長に面会を要求し、一応断つたが結局午前一一時三五分から正午まで会議を中断して懇談した。席上組合員から「部長は関西の事情を調査するためきた筈だから電報局に来て組合員の意見を聞いてほしい」旨の主張があつたが、総務部長は「現場にはまわらない。しかし、近畿支部役員と会うことになつているので、その席上で実情を聴取したい。」旨答え、何等の結論を得ないまま、午前一二時一〇分頃懇談は打切られた。なお、懇談を終るに際し、組合員の中から「いま職場で抗議集会を開いているが、部長が来ないと職場に混乱が起るかも知れないがそれでもよいか。」との発言があり、部長は「そんなことはないでせう」といつて席を立つたが、右懇談の席上、総務部長が申請人等主張の如き放言をした事実は全くない。当日午後三時からの、組合近畿支部との交渉は、山田支部長並びに支部執行委員(支部役員の殆んど全部が加わつている)等出席の上、組合員約三〇名(申請人等も午後五時半頃から参加している)の傍聴の下に開かれ、この団交では主として組合員の生活実情等につき話合がなされた。従つて、総務部長がさらに大阪電報局に赴き右以外の組合員に会わねばならぬ事由は全くなかつた。

2本件職場大会は申請人等主張の如く自然発生的に生じたものでも、また組合の指示によるものでもない。このことは次の事実から明らかである。

(イ)前記総務部長と分会役員との懇談会の席上、すでに職場で抗議集会が開かれているとの発言があり、また時間的にみて、右懇談会席上の部長の発言内容が、職場の組合員に連絡されたのは、右懇談会が終つた午前一二時一〇分頃以後と考えられるところ、大阪電報局第二運用課、検査課、サービス課では、早くもそれ以前正午には動揺が始まり、一二時五分には完全に職場放棄が行われていた。従つて、部長が来ないとの情報から自然発生的に職場大会が行われたものといい難い。

(ロ)食事時間は交替制であるから午前一二時以後半数の者は作業をしていなければならないにかかわらず、食事後職場に復帰しなかつた者や一二時頃一旦職場に戻りながら再び職場を離れた者があり、さらに参加者が第二運用課、サービス課、検査課の者に限定され、その他の課からの参加者が全くなかつた点からして、本件職場大会は作為的なものがある。

(ハ)申請人田中が前もつて仕事をさぼれと組合員吉田秀文にいつた事実があり、また訴外堀井は職場放棄中第二運用課への応援者に対し、仕事をやめてくれといつた事実がある。

(ニ)右職場大会は職場大会開催に関する協定、規定、慣行に反して行われている。

すなわち、

(a)会社就業規則第四条第二項によれば、事業所内で演説集会その他これに類する行為をしようとするときは、事前に事業所の管理者の承認を必要とする旨規定され、また組合活動は原則として就業時間外に行わなければならず、就業時間中に行うことができる組合活動は、組合活動に関する協約第三条列挙の事項に限られ、職場大会は就業時間中に行うことができない。また、就業時間中にできる組合活動を行う場合も、右協約第四条により予め文書により所属長に報告し、承認を求めなければならないことに定められている。

(b)従来大阪電報分会では、職場大会を行うときは、事前に分会執行部から局長に対し、日時、場所、参加対象人員(宿明とか日勤とか)、内容を明記した文書(緊急の場合は口頭)で、局舎の一部使用許可の申入がなされ、局長は諸条件を勘案して承認する例である。なお、休憩室は休憩休息中の者が使用しているので、他の場所があいておればそこを優先的に使用させることとしていた。しかして、勤務時間中の組合活動は原則として容認されていないから、職場大会の構成員はすべて非番者である。従つて、同一テーマについて何回も職場大会が開催されることになり、宿明者(約一〇〇名)の職場大会は午前九時勤務終了後から、日勤者(固定日勤約七五名常日勤約七〇名宿直宿明服務の日勤約七〇名)の職場大会は午後五時(常日勤は午後五時一五分)勤務終了後から行うのが例で、常日勤者(非現場事務担当者で午前一二時一五分から午後一時まで一斉休憩を行い得る者)だけは非現場事務室で昼の休憩時間中に行うこともあつた。

右のとおり職場大会は各服務毎に分れ、時間外に行うのが組合結成以来のきまりであつて、勤務時間中の者を対象としたり、現場日勤者を対象として昼間休憩時間中に、しかも何等の承認手続を経ずに、事業所内で職場大会が開かれた例はない。現に当日午前九時から開かれた宿明者の職場大会については、当日午前八時半過ぎ分会長から口答申入があり、承認がなされている。しかるに、本件職場大会が開催するについては分会役員から何等承認手続もとられていないし、分会役員も出席していなかつた。

(ホ)本件職場大会が行われた当日午前一二時四五分頃、志水次長の問合せに対し、高倉分会書記長は、分会として指示を出したことがない旨答えており、さらに、その後昭和三〇年三月三〇日立花大阪支社長が山田近畿支部長宛本件職場大会が分会の指示によるものか否かを文書で問合せたのに対し、同支部は中央本部指令指示に基く支部指令指示以外は一切の指令指示権を有しない旨回答している。なお、大阪電報分会東良分会長に対しても同旨の照会をなしたが、回答なく、重ねて回答のない場合は組合の指令によるものでないことを肯認したものと了解する旨申入れたが、これに対しても回答がなされなかつた。

(7) 同(7)について、

右事実中、申請人田中の休憩時間が一番であつて、本件職場大会(職場放棄)に参加したこと、同人が神戸国際電報局に回線連絡したこと(ただし、連絡をした時間その内容は前叙のとおりである)、志水次長が職場放棄中に休憩室へ赴いたとの点(その時刻は午前一二時一八分頃である)、並びに一二時五五分頃職場大会が中止され、参加者全員が職場に復帰したことは認めるが、その余は否認する。本件職場放棄の真相は次のとおりである。

1職場放棄は、第二運用課課長福田良雄が午前一二時頃神戸国際電報局からの電話に応答のため局長室に赴き不在となつたのを契機として行われ、これと呼応する如く検査課サービス課でも同時刻頃職場放棄が開始され、一二時五分には、それまで就業中であつた右三課の大部分のものが、職場を放棄するに至つた。すなわち、第二運用課では、当日勤務者二八名中主任二名を除きその余の全員二六名(申請人両名を含む)が、検査課では、同じく一二名中六名、サービス課では、二〇名中、一五名が、職場にいなかつた。もつとも、この中には食事休憩時間に該当する者もいるけれども、これらの者も交替者の帰室引継をまたずに離室すべきものではない。

2右就業場所を離れた大部分の者は休憩室内に集合していたが、申請人両名及び訴外堀井敏弘(同人も申請人両名と同時に懲戒免職の処分を受けた)等は鉢巻姿でその室と第二運用課を往復徘徊し、状況監視の態勢をとつていた。前記福田課長は一二時一二分頃休憩室に至り、集合中の者に対し、「第二運用課員は帰つて仕事をせよ、勝手に持場を離れるのは職場放棄である」旨口頭で伝えたが、復帰する者はなかつた。次いで、同一八分頃志水次長が休憩室に入ると、訴外堀井及び申請人田中はその両側に、申請人山口はその背後について入り、同次長を包囲した。志水次長は室内の者に対し「食事休憩時間中でない人は直ちに職場に帰つてもらいたい。」と命じたところ、応ずる者がなく、さらに重ねて職場への復帰を命じ、約五分で休憩室を退室したが、就業する者はなかつた。しかして、一二時五五分頃に至り、職場放棄した者は、相前後して全員職場に復帰し、平常通り作業を開始した。なお、右職場放棄の行われた間、志水次長等会社幹部は休憩中の監査課及び庶務課員一五名に第二運用課への応援を命じ、この応援者及び残留者によつて、受信業務は辛うじて処理したが、送信業務は僅かに一一通(平常日は約二〇〇通)を送信したのみで、業務は殆んど停止するのやむなきに至つたものである。

右の次第で、本件職場大会は申請人等主張の如く休憩休息中の者によつて行われたものでないし、また、申請人等が職場大会を収拾するために休憩室に赴き、その秩序維持に努力したような事実もない。職場大会が中止されたのは高橋組合近畿支部副部長(当日は午前一二時の出勤であつた)が出勤して本件事態に直面、これを憂慮して職場復帰を極力勧説した結果である。

また、申請人田中が休憩時間本件職場大会に参加したのは休息時間を利用したものではない。なお、会社の休憩休息時間に関する定めは次のとおりである。すなわち、会社の現場関係者は交替制服務をとつているが、現場交替制勤務者の内日勤者の休憩及び休息時間については「会社受入れ条件」(会社が電々公社から移行の際組合との間に締結した約束事項)に基き、電々公社の就業規則の各条項を踏襲することに定められている。ところで、電々公社における現場交替制勤務者の内日勤者の休憩時間は三〇分(公社就業規則第二五条)、休息時間は五〇分(同規則第二四条及び電労第三六号日本電信電話公社総裁室人事部長が昭和二七年八月一日に社内一般長に対し、職員の服務時間について発した指令)と定められているから、(なお、右公社の就業規則第二五条は形式的には労基法第三四条に牴触するが、それが許容されたのは休憩時間に引続き休息時間が与えられ、合計一時間の休憩が昼食時間として実質上与えられていたためである)、大阪電報局第二運用課でも、前記約束に基き電々公社のそれと同様日勤者に対し昼食時間として休憩休息時間を含めて一時間(休憩時間三〇分、休息時間三〇分)を午前一一時から一二時までと、一二時から午後一時までとの二交替制で与え、別に午前と午後に一〇分宛の休息時間を与えている。この休憩休息時間は具体的には宰領(これは昭和二九年一月二六日付大阪電報局長通達により設けられたもので、その任務は各担当者の作業能力を把握し、これを勘案して各担当者の担当作業を定め指示する外多岐にわたり、回線状況を勘案して休憩時間を付与するのもその任務の一である。)の指示に基き与えられるのであるが、午前一一時から午後一時までの間においては、昼食時間のため作業員数半減する関係上食事以外の休息時間を与えることは不可能なことであるし、また与えた例もない。なお、会社就業規則第二四条によれば申請人等の場合休憩時間は四五分(実働八時間を超える場合は一時間であるが、八時間以下の申請人等の場合は四五分である。)と定められているが、前記のとおり公社のそれが踏襲された結果、右四五分の休憩時間(休憩時間は実働時間に含まれず無給)は、結局三〇分の休憩時間に一五分の休息時間(この時間は実働時間に含まれ有給)を加えたものと看做されることになる訳である。

(8) 同(8)について、

申請人両名は本件職場放棄中またはこれに先だつて前記二記載の各行為をなしたものである。

なお、(イ)申請人山口の休憩時間は一番であつて二番ではない。同申請人の属する第一分担の作業員一〇名(もつとも一名は作業内容が「区分」で交替制に関係がない)のうち広田喜代治、桜谷一夫、吉田秀文、梶村孝男、西田猛の五名が二番であり、吉田満邦、上田、堀井敏弘、同申請人の四名が一番であることは当日の作業実績からみて明らかである。もし、同申請人を二番とすれば、一番と二番の人員の割当が均衡を失し、実際上ありえないことになる。また、同申請人が職場放棄発生前第二運用課長の業務を妨げた状況を布衍すると次のとおりである。すなわち、

当日午前の宿明者の職場大会終了後大阪電報局内は表面上平静であつたが、申請人両名は自己の担当通信座席を離れて同僚と何か私語していた。午前一一時頃福田第二運用課長席に、被健康管理者二名が来て、「被健康管理者も祭日に出勤させよ」と要求し、一〇分位過ぎてから右二名と入替りに申請人山口(従つて、同課長は応接に手をとられ新聞を読むひまもなかつた)が来て、三番勤務への服務変更を要求し、暫らくして訴外堀井、次いで申請人田中が来て、「山口、堀井を何故宿直宿明勤務に入れてくれないのか具体的な拒否理由を明示せよ」と抗議したが、同課長はこの移動は不適当と思う旨説明した。また、申請人田中は「課員をおさえるな」「出勤簿を時間が過ぎても置いておくようにせよ」等と強要し、同人と堀井は約一〇分で立去つたが、山口は、課長が仕事の邪魔になるから仕事につくように命じても、食事時間中と称して立去らず、同課長が次長室に呼ばれて行くまで同様のことを繰返し主張して課長をその席に釘づけにして執拗にねばり続けた。元来会社における服務の指定は個々の服務の必要人員数、個人の技倆、健康等を考慮して課長が決定するのであつて、本人の希望は考慮するが、課長と課員の協議で決定さるべきものではない。殊に、この三番勤務は夜間を主とする作業であるから、夜間の課長代理である副課長の意見が徴せられ、それをまつて、課長が決定するものであるから、課長だけに唐突に強請しても駄目であることは、山口自身の熟知するところである。のみならず、同人の当時の勤務は夜学に行く便宜のため本人の希望に基いて決められたものであるし、なおまた、その主張する如き訴外吉田の三番勤務編入の事実もなかつた。要するに、申請人山口の勤務変更の要請は事を構える口実以外のものではない。また、課長と課員の話合も短時間ですむものならば格別、長時間にわたるものは職務に差支えるから勤務時間外、或は適当な日時を指定して行うのが建前であるにかかわらず、申請人山口は全くこれを無視したもので、当時の情況は話合というよりいわゆるつるし上げであつた。さらに、当時通信閑散時であつた旨主張するが、通信閑散時と雖も何時相手方から送信があるかも知れないし、また送信すべき電報が廻つてくるかも分らないのであるから、勝手に自席を離れることは許されるものではなく、正当の理由がない限り離席自体職務の放棄というべきである。

(ロ)申請人田中に対し就労を要求することは当時の状況から期待可能性がないとの主張は、本件職場放棄が前叙のとおり作為的なものであり、仮にしからずとしても、首肯すべき理由がないことや、同申請人が職場委員として他をリードしていた事情からして全く理由がない。また、通信施設の使用は業務上に限らるべきで、私用に供し得ないことは全従業員の規範意識となつている。仮に申請人田中の回線連絡が業務上の連絡であるとしても、全通信が一時ストツプする旨の連絡は、責任者から相手局の責任者に対しなさるべきで一担当者がなすべきことではない。

(二)  申請人等主張四(二)及び(三)について、

右主張事実中、組合の組織構成に関する点並びに申請人田中が本件事件当時職場委員であつた点はいずれもこれを認めるが、申請人両名のその他の組合における地位及び活動については知らない。その余の主張事実はすべて否認する。本件解雇は前叙の理由によるもので、それ以外の理由によるものではない。また、申請人等の本件行為は何等正当な組合活動というべきものではない。

(三)  申請人等主張四(四)について、

申請人等の本件行為は次の理由から懲戒解雇を相当とするものであつて、何等就業規則の適用を誤つたものではない。すなわち、

(1) (本件職場放棄による影響)

本件職場放棄の結果、大阪電報局第二運用課における午前一二時から午後一時までの電報の疏通は、他課の応援を得たにかかわらず、なお送信一一通(これは平常の僅かに、五、六パーセントである)受信一二九通に過ぎず、この間における通信の遅滞は甚だしいものがある。しかも、右遅滞の影響を受け、職場復帰後業務が正常に運営されるに至つたにかかわらず、局内における受信から送信までの経過時分は著しく延長され、当日第二運用課取扱の午後一時から二時までの間に送信した一二一通につき調査した結果は一通平均四六分に及び、この内四五通は一時間をこえており、平常時の同時期間の一通平均一〇分に比し三六分の遅延となつている。右の外、検査、サービス両課の事務もそれぞれ平常に比し遅延を免れなかつたことは当然で、迅速を生命とする電気通信事業にとつては、局部的とはいえ被害は甚大である(もつとも具体的に利用者から苦情の申出はなかつたが、このことから利用者に被害がなかつたとはいえない。)。

(2) (事業の重要性)

電気通信事業が公益性の高いものであることは公知の事実であり、公衆電気通信事業法第一一〇条が公衆電気通信の業務に従事する者が正当の理由なく通信の取扱をなさなかつた場合の処罰を規定した所以も事業の重要性に基くものである。また、労働関係調整法(以下単に労調法という)第八条も電信電話事業を公益事業と定め、同法第三七条で抜打争議を禁止している。殊に、会社の取扱う国際通信は外国貿易等国の政治経済に直接関連するものであつて、その停廃により生ずる影響は極めて重大である。

(3) (組合活動との関係)

本件職場放棄が正規の手続による組合活動として行われたものでないことは前叙の事実の外、当時労調法第三七条による争議行為の予告通知がなされていなかつたことに徴し明らかで、申請人等の叙上行為は正規の組合活動ではなく、山猫争議と呼ばるべき職場秩序違反の行為である。

(4) 争議行為と通信の確保

会社発足以来三年八ケ月の間は、本件職場放棄(これは会社発足後二年目の出来事であつた。)を唯一の例外とし、ストライキまたはストライキ類似の争議行為は全くなかつた。最初のストライキは昭和三一年一二月に行なわれている。その後今日に至る間ストライキを避けることのできない場合もあつたけれども、会社と組合はその都度保安協定を締結してきたのであつて、いまやこれが確立された慣行になつている。協定の内容は時によつて異なるが、争議行為の事前通告、争議行為による事務引継、保安業務ならびに保安要員差出に関することは、これを欠いたことがない。右事前通告があれば、会社はただちに利用者に対し、電話、電報を以て争議の正確な実施時間、範囲、争議中の取扱方法を通知周知せしめ、利用者はこれによつて争議の具体的日時、種類を確知し、事前に商取引をすませ、あるいは普通電報を至急電報に変更発信する等、争議行為による打撃を回避するため適当な措置をとりうるわけである。また争議のさいには、組合員たる担当者と管理者との間で事務の引継が行われ、電報をどこまで確実に受信し、また送信したかを確認する手続になつており、これによつて途中における紛失を防止しているのである。本件職場放棄のさいは勿論かような引継ぎがなかつたから、監査課から応援にきた赤井俊雄、中矢勇は神戸一番線で対照番号の相違を発見して作業に手間どり、名古屋においては掛戻しを行うという事態が生じているのである。さらに、人命保全電報、医事通報、気象電報の如き重要通信については、争議行為中でも会社はその疎通を止めたことはなく、組合も保安要員を提供する等これに協力してきたのである。しかるに、本件の如き抜打的な山猫争議においては、右の如き措置を講ずるに由なく、その通信業務に及ぼす影響は測り知れないものがあり、申請人等の行為は全く無謀というの外はなく、そのこと自体、申請人等が従業員としての適格性を欠くことを示すものである。

(5) (処分の量定は相当である)

申請人等の上叙行為が会社就業規則第五〇条所定の懲戒事由に当ることは明らかであるところ、上述した被害の状況、事業の重要性に鑑みるときはこれを放置することはとうていできないので、事業防衞の目的から職場秩序上の責任を明らかにする必要を認め、慎重に検討した結果、申請人両名が本件職場放棄において指導的役割を果し、その情状も重く(公衆電気通信事業法第一一〇条違反の刑事責任をも免れない悪質行為である。)、また事件後稲井大阪電報局長が事件の事情を聴取のため面接した際にも誠意を欠いた不真面目な態度で終始し、毛頭反省の色がなかつたこと、その他平素の勤務状態、技倆も優秀ではなかつたこと等も参酌して懲戒解雇にしたものであつて、右処分は相当である。なお、本件解雇について、組合中央執行部は昭和三〇年七月三一日から五日間開かれた第八回全国大会で、本件職場放棄が組合の機関決定によらずに行われた越軌な行動であることを確認するとともに、単にその処分の軽減を要求し、会社と交渉、闘争を続けてきたが、同年一二月中央労働委員会の職権あつ旋の決定があり、あつ旋員亀井中労委事務局長の提示したあつ旋案には、「大阪電報局員の処分問題については会社の決定をやむを得ないものと認めるが、会社は三名の退職者の処遇についてはできるだけ配慮されたい」とあり、中央労働委員会も本件解雇の妥当であることを認め、しかも右のあつ旋案は双方受諾し、組合は本件解雇を承認したものである(なお、組合中央執行部のとつた右措置は昭和三一年三月開かれた第九回定期全国大会で経過報告として承認されている)。また、組合は申請人等の行為に対し、組合規約に違反し統制をみだした行為として犠牲者救援規程を適用しなかつた。

(四)  申請人等主張四、(五)について、

右事実は否認する。

(五) 申請人等主張四、(六)について、

前叙のとおり本件懲戒解雇処分は相当で、何等権利濫用の事実は存しない。

第三、疏明関係〈省略〉

理由

一  被申請会社(以下単に会社と称する)は昭和二八年四月一日日本電信電話公社より分離設立され、外国との電報電話の送受を業とする株式会社であること、申請人両名は、右会社設立とともに日本電信電話公社より引継がれて、会社に入社し、大阪国際電報局通信事務員として、第二運用課における国内有線通信に従事して来たものであり、かつ会社全従業員(三、〇〇〇名)を以て組織する国際電信電話労働組合(以下単に組合と称する)の近畿支部大阪電報分会(組合員約五〇〇名)の組合員であつたこと、ならびに会社が昭和三〇年三月二二日期末手当要求闘争中における申請人等の行動を以て職場離脱、業務命令違反等会社就業規則に違背するものとし、同年四月一一日付書面を以て、申請人等に対し懲戒免職の意思表示をしたことは当事者間に争のないところである。

二  いま右解雇の適否を検討するにあたり、まず昭和三〇年三月二二日までの組合の期末手当要求闘争の経過と右二二日における職場大会を中心とする職場放棄の情況を考察する。

(1)  大阪電報分会における期末手当要求の声

第三者の作成にかゝり真正に成立したものと認める甲第二ないし一〇号証、同第一二号証の一、二、同第一五、一六号証、証人徳永正三(二回)同遠藤喜三、同厨子文男、同高倉登(二回)、同東良幸男、同山田克己、同肥爪亀三(一回)の各証言ならびに申請人田中庸雄本人の供述を綜合すると、大阪電報分会では、昭和三〇年二月以来、大阪電報局の取扱電報通数が激増し、人員不足のため労働強化の情況にありとし、かつ昭和二九年の同期にも夏季手当の前渡しとして給料一ケ月分の手当支給を受けた実績があり、爾来会社の好況が続いているさいであるから、今度は新に生活補給金の趣旨の下に、本給プラス扶養手当一ケ月分の給料を昭和二九年度期末手当として要求すべしという声があがり、昭和三〇年二月一四日の職場大会で右要求が確認され、二月一八日分会上部機関たる近畿支部幹事会の提案決定を経て同支部より組合本部に提案され、組合本部はこれを組合全体の問題として取り上げるとともに、三月四日支部及び分会に対し右要求獲得のための闘争方法として、支部、分会は同時に強力な団体交渉を展開し、とくに分会では職場大会を活発化し、職場の日常要求を引き出し、これらを併せて交渉の対象とすべき旨の指示第五五号を発し、翌五日右期末手当の要求を会社に提案した。そして右要求をめぐつて組合本部と会社の団体交渉が続けられたのであるが、会社は三月一五日の団体交渉において経営上のバランスを理由にいわゆるゼロ回答をなし、組合の要求を拒否する態度に出た。大阪電報分会ではその情報を受けるや、同月一八日決起大会ともいうべき職場大会を開催し、鉢巻、一人一枚のビラ貼り、署名運動の強力推進等の闘争手段を決定するほか本部に対し重役を現場に寄越せの打電をし、本部団交を通じ会社にその実現を要求することを決定し、同日申請人田中において組合本部に対し右趣旨の打電をした。ところで三月一九日の組合本部と会社の団交の席上、会社側の肥爪総務部長は組合の要請に基き発展的回答をするため、二〇、二一日の連休を利用し、大阪へ赴き近畿の声を聞くことを約した。右情報は同日組合近畿支部厨子情宣部長を通じて高倉分会書記長に伝えられ、分会では担当執行委員を定め、総務部長来阪の日程把握につとめ、待機姿勢をとつたのであるが、はつきりした情報がつかめず、二一日午後高倉分会書記長が稲井大阪国際電報局長に電話で照会した結果、始めて二二日の午前に会社の近畿支社に来ることが判明したので、同書記長より東良分会長に報告し、同分会としては翌二二日朝宿明者の職場大会を開き、これに即応する具体的な方針を決定することにしたものであることが疏明できる。

(2)  総務部長の来阪と分会の闘争態勢

(イ)  証人宇野明信(二回)、同高倉登(二回)、同東良幸男、同山本和美、同近藤銀次郎の各証言ならびに申請人田中庸雄本人の供述を綜合すると、

分会は右決定により二二日午前九時より大阪国際電報局舎内三階休憩室で宿明けの組合員四、五〇名が参加して職場大会を開き、総務部長の来阪にあたりとるべき分会の態度につき討議を始めたところ、当初同電報局庶務係員からの情報として総務部長は結婚式の仲人として来阪したのであり、その所在も不明である由が伝えられて場内騒然となるうち、支部より総務部長が近畿支社に現われたとの情報に接し、漸く議題の議事進行に入つたのであるが、組合員の意見としては、昭和二九年一一月一九日の例にならい、要求獲得のため、総務部長に対し、強力に実情を訴え圧力を加うべしとするものが多数を占め、そのためにはこのまゝ待つていても、同部長が来るかどうか判らないから支社へ迎えに行こうという決議になり、午前一〇時半頃東良分会長、高倉書記長、宇野情宣部長等分会執行委員は宿明けの組合員約二〇名とともに近畿支社に赴いた。そのさい高倉書記長は残留の日勤者の組合員であり、かつ職場委員である申請人田中(第二運用課勤務)、寛藤孝(サービス課勤務)近藤銀次郎(検査課勤務)に対し、総務部長を大阪国際電報局に連れて来たときにとるべき集団陳情の態勢を準備し、待機すべきことを指示した。ことが窺われる。

(ロ)  職場放棄

成立に争のない乙第二八号証、証人肥爪亀三の証言(二回)によつて成立を認めうる乙第三、四号証、第三者の作成にかゝり真正に成立したものと認める乙第一七号証、証人福田良雄、同志水精次(二回)、同鷲津章、同高橋米久、同寛藤孝、同山本和美、同近藤銀次郎、同豊田陽、同高倉登(二回)の各証言を綜合すると、

申請人田中、寛藤孝、近藤銀次郎、の職場委員は組合活動家の山本和美、堀井敏弘等と右高倉分会書記長の指示に基いて協議した結果、右分会派遣団が近畿支社に到着するのは、距離的な関係から午前一一時頃となり、そこで総務部長と交渉し、その結果総務部長が大阪国際電報局に来るとすれば、午後一時までのことと予想され、丁度午前一一時から午後一時までの二交替昼食休憩時間の頃になるので、昼食後の組合員を三階休憩室に集合せしめて総務部長来訪時の集団陳情に備えることにするとともに、もし、同部長が分会派遣団の要求に応じないときは、右集会を抗議集会たらしめて分会派遣団の交渉を強力にバツクアツプすることを定め、申請人田中は第二運用課の組合員に、近藤は検査サービス課の組合員、及び第一運用課の職場委員に、他の者もこれに呼応して有志の組合員に対し、昼食後休憩室への参集を勧誘し、その結果午前一一時を経過すると昼食一番(午前一一時から一二時まで)の組合員は昼食後次第に休憩室に参集し、分会派遣団からの情報を待つうち、午前一一時二〇分頃分会派遣団から右近藤、山本に対し「総務部長はまだ会つてくれない。午前一一時三〇分から会つて交渉する予定である」旨の情報がはいり、総務部長来訪実現の困難が予想されるや、申請人田中、堀井、山本等首謀者の間において、総務部長に対し強力な圧力をかけ、分会派遣団の交渉をバツクアツプするの外はないということになり、その方法として一番昼食者は休憩時間が過ぎてもそのまゝ休憩室に居残り、これに二番昼食者が合流して職場放棄による抗議集会に持ち込むことに決し、これに備えるため午前一一時四〇分逸早く神戸国際電報局に対し「一二時から職場大会に入る。電報ストツプになるかも知れぬ。よろしく願う。」旨の連絡がなされているのであるが、さらに午前一一時五〇分頃分会派遣団の宇野情宣部長との電話連絡に出た前記山本から「総務部長は大阪電報局に行く必要はないといつて拒否しているが、さらに交渉継続中である。」旨の情報が伝えられるに及んで、職場放棄に突入の態勢は決定的となり、第二運用課ではその頃東京国際電報局に対し、電報停止の回線連絡がなされた外、一二時申請人田中より神戸国際電報局に対し職場放棄による電報停止の回線連絡がなされ、その傍に居つた組合員豊田陽も亦、申請人田中の意を受け一二時五分名古屋国際電報局に対し送信停止の連絡をした。そしてその頃から二番昼食者は続々離席して休憩室の集会に参加し、一二時一二分頃福田第二運用課長が休憩室に赴き課員に就業を命じたが、応ずるものはなく、当日の勤務者二八名(課長を除く)中主任植田秀夫、課員奥村勇の二名を除き、その余の二六名は職場を離脱するに至つた。

これに呼応し、隣の検査サービス課においても、午前一二時過頃から職場を離脱する者相ついで生じ、残留者も山本、寛藤等に勧誘されて離席し、平時の半数以上が空席となる事態を生ずるに至つた。

かくて一二時半頃、志水次長の命により監査課、庶務課所属の課員が応援に派遣され、第二運用課の受信事務はこれら応援者の手で一部処理されたが、送信事務は殆んど停止されたまゝであり、一二時五五分頃職場離脱者の復帰をみて漸く平常に復したが、その内電報の送信は一一通のみで残余は停滞し、午後二時半に至つて漸く送信し終つたが、送信一二一通は普通一通一〇分の処理時分のところを四六分要し、三六分の遅延を生じ、また受信事務についても相当の遅延を来した。

ことが疏明せられる。

(ハ)  職場大会

真正に成立したものと認める乙第三五号証の三(庄司竹夫関係部分)同号証の一〇(岩本竜彦関係部分)、同号証の一一(原明穂関係部分)、証人山本和美、同植田秀夫、同近藤銀次郎、同寛藤孝、同志水精次(二回)同高橋米久の各証言ならびに申請人両名本人の供述を綜合すると、

前記の如く一番昼食に立つた組合員は、食事後休憩室に集り、宿明け勤務者の一部残留者とともに待機していたのであるが、午前一一時五五分頃、前記の如く、山本より分会派遣団の宇野からの情報として「総務部長は大阪電報局に行く必要はないといつて拒否したが更に交渉継続中である」旨報告せられ、かつ「様子が分るまで職場に帰らないでおこう」との発言があり、また、これに同調を求める勧誘がなされるうち二番昼食者も前後して休憩室に参集し来り、総数約五〇名に達し、一番昼食者も右勧誘と場内の空気に押されて職場に復帰する者殆んどなく、亢奮裡に事態の推移を見守るうち、一二時一〇分過頃近藤から分会派遣団の情報として「総務部長は絶対に来ない。電報が止つても構わないと放言した」旨報告されるや、場内騒然となり、職場大会を開けとの声あちこちに起き、近藤司会の下に圧倒的な賛成を得て職場大会の開催を決定し、申請人山口が多数の声に推されて議長となり、今後の対策を討議するうち、「志水次長に総務部長が来るよう電話させよう」との意見が多数を占め、「議長、次長を呼んで来い」「田中(申請人)も行け」との声が出て、申請人山口、同田中の両名が志水次長を呼びに出たところ、第二運用課東京一番線附近の廊下で、事態を知つて駈付けて来た志水次長に偶然会い、即刻同次長より就業を命ぜられたのに対し、申請人田中は「そんなことをこゝでいつても仕方がない。部長が来ないからいけない。休憩室で言え。」と答え、次長を促し一諸に休憩室に引き返した。志水次長は一二時二〇分頃休憩室の入口を少しは入つたところで、食事休憩時間以外のものはすぐ職場に帰つて就業するよう命じたが、参集者の大部分は鉢巻をして場内は亢奮ざわめいており、「部長が来ないからいかぬ。」「連れて来たら帰る。」「部長は電報停つても構わぬというている。次長は重役の命令に従わないのか。」といつた発言が飛び出す始末で、応ずる色なく、威圧的な空気さえあつたので、重ねて前同様職場復帰を命じた上、僅か二、三分おつただけで、応急対策を構ずるため、一二時二三分頃休憩室を立去つた。そこで、申請人山口が議長席につきさらに対策を討議するうち、一二時三〇分頃組合近畿支部副支部長高橋米久が出勤(当日の出勤時間は一二時になつていた)して休憩室に来り、「皆の気持は分るが、これ以上続けても部長の来る見込はない。会社の挑発に乗るようなことになるから、職場に復帰して貰いたい。」と発言し、寛藤は「部長が来るまで頑張ろう。」と反対し、近藤は「一時まで頑張ろう。」といい、その他山本等二、三名から同様反対意見が出たが、その頃申請人田中の許に分会派遣団の宇野から解散するようにとの指示があり、高橋の再度の説得に漸次賛成者が増加し、寛藤も賛成意見に変じ、同人において当日の行動を集約した発言をし、その指揮の下に民族独立行動隊の歌等を合唱し、一二時五五分頃解散、全員職場に復帰したものである。

ことが疏明せられる。

(ニ)  分会派遣団の行動

証人高倉登(二回)、同宇野明信(二回)同厨子文男、同肥爪亀三(一回)同東良幸男、同山田克己の各証言及び申請人両名本人の供述を綜合すると、

東良分会長、高倉書記長、宇野情宣部長等分会役員及び組合員約二〇名は午前一一時頃会社近畿支社に着き、同所で局所長会議開催中の総務部長に対し、支社職員課長を通じ面会を求めたが、同部長よりは、支部と団交の予定であるし、局所長から実情を聞いているから、分会の陳情を聞く必要はないとの理由で、二、三回拒否せられ、最後に午前一一時二〇分頃山田克己組合支部長のあつせんで、面談時間を午前一一時三〇分から一二時までとし、これを厳守するという約束の下に午前一一時三五分頃から面接し、当初分会側は期末手当要求の切実さをうつたえ、同部長はこれに応じ難い理由を説明した後、分会側は現場への来訪方を要求し、同部長は組合支部と会うのだから行く必要はないといい、押問答になつたのであるが、一二時六分頃同席の立花支社長が「約束の時間だ」といつて椅子より立上つたさい、高倉書記長が、「いま職場で抗議集会を開いている。部長が来てくれないと混乱が起るかも知れない。どんなことが起きてもよいか。」と質問し、それに対し同部長は「そんなことないでせう」とか答えて一二時一〇分頃退室し、面談は打切られたのであるが、これが現場には同部長が「電報が停つても構わない。」と放言したかのように誤り伝えられたものである。そして同日午後三時から組合支部と同部長の間で公開団交が始められ、これには分会役員も参加したし、申請人等も午後五時半頃から傍聴していたものである。

ことが疏明できる。

(3)  右職場放棄と組合の指令

右職場放棄については、組合本部は勿論、支部、分会の指令、指示もなかつたものであること、ならびに職場放棄の行われた現場には、これを掌握すべき組合責任者は一人も居なかつたものであることは証人遠藤喜三、同徳永正三(二回)、同山田克己、同東良幸男、同宇野明信(二回)、同高倉登(二回)の各証言によつて明らかである。

申請人等は、前記組合指示第五五号を根拠にして正当な組合活動の域を出ないと主張するが、右指示に「職場大会を活発化し日常要求を引き出すこと」とある職場大会は通常の職場大会を意味し、ストライキの実質を有する職場放棄を含むものでないことは、同指示の文言上からも、また前記各証言からも明らかなところである。もつとも同指示は期末手当要求闘争の闘い方として発せられたものであり、組合本部の団体交渉をバツクアツプする広い意味での闘争手段を指示したものであろうが、それかといつてただちに職場放棄等の実力行使を含めて指示したものと解し難いのはいうまでもない。そして、このことは申請人田中、堀井等の首謀者も十分認識していたものであることは、後記の如く、申請人田中は神戸国際電報局に対し「組合の指令はないが自然発生的な職場放棄である。」旨説明し、堀井も亦第二運用課の主任植田秀夫に対し同様の説明をしている外、成立に争のない乙第二八号証及び同第四五号証(二七頁)によつて窺われる如く、同電報局第一運用課では組合の指令が明確でないとの理由の下に同調を拒否していることならびに申請人田中が休憩室において集会者に対し組合の指令によるものでないことを説明していることからも明らかなところであつて、またそうであるからこそ後記認定の如く自然発生的な職場放棄を偽装するに至つたものと考えられる。

(4)  本件職場放棄は自然発生的なものかどうか

申請人等は、本件職場放棄は肥爪部長の放言が組合員を激昂させたことに由来する自然発生的な現象であると主張し、証人寛藤孝、申請人両名本人はほぼこれに副うような供述をし、また、前記乙第三号証には申請人田中が神戸国際電報局に対し、組合の指令はなく、自然発生的な職場放棄である旨の説明をした記載があり、さらに証人植田秀夫も、堀井より同様の説明を受けた旨証言し、前記乙第四五号証(八六頁)にも同趣旨の記載があるが、右は、いずれも自然発生的な職場放棄を偽装する画策が行われたことに由来し、真相を伝えるものでないことは後記説示のとおりであり、他にこれを認めしめるに足る疏明がない。かえつて

(イ)  前認定の如く、肥爪部長の放言(その内容が誤報であることは前認定のとおりである。)のなされた一二時一〇分頃には、すでに完全な職場放棄の状態に持ち込まれているし、その以前の一一時四〇分神戸国際電報局に対し、一二時から電報停止になるかも知れない旨連絡せられ、つづいて一一時五〇分頃から一二時五分頃までの間に、東京国際電報局、神戸国際電報局、名古屋国際電報局に対し相ついで電報停止の連絡がなされていて、肥爪放言とは無関係な時間的経過になつていること、とくに前記乙第三号証における、申請人田中の自然発生的な職場放棄という説明は一二時に神戸国際電報局に対してなされたものであり、時間的には肥爪放言の前であるのは勿論であるし、職場放棄に入る直前であること

(ロ)  証人奥村保造、同西川数の各証言によつて窺われる如く、当日(二二日)、前記堀井の如きは、午前九時頃第二運用課内で「今日はストだ」と独り言をもらし、また奥村保造(旧姓古田)に対し「今日はストをやろうか」と冗談まじりに話しかけているほか、前記宿明けの職場大会に参加し「なまやさしいことではいかぬ。今日は実力行使でぶつかつて行くのだ」と強硬意見を述べており、本件職場放棄の急先鋒であることを窺わしめるものがあるし、後記認定の如く、申請人田中も事前に同僚の吉田秀文に対し「仕事をさぼれ」といつて勧誘していること

(ハ)  前記乙第一七号証、第三者の作成にかゝり真正に成立したものと認める乙第一二号証、同第一九号証、同第三五号証の三、四、六、七、証人鷲津章の証言によつて成立を認めうる乙第一一号証、証人肥爪亀三の証言(二回)によつて成立を認めうる乙第四六号証の一、二、証人寛藤孝、同赤井俊雄の各証言を綜合すると、

(a) 組合員のうちには、平井協一、尾林昇等職場放棄への参加をしぶり勤務を継続せんとするものもあつたが、堀井、寛藤、山本等に強引に勧誘せられた結果やむなく離席しており、とくに組合員尾林昇の如きは堀井に腕をつかまれ、「みんな行つているのに何故行かぬ、行け行け。」と追われて仕方なしに離席していること

(b) 組合員甲斐政次、同阪本正夫の如きは職場放棄に参加しなかつたが、堀井、寛藤より執拗に参加を勧誘されており、また監査課から応援に来た赤井俊雄も堀井から「何故監査課のものが仕事をするのか。」と詰問されていること

が疏明せられ、組合員の職場離脱が、その一人一人の自発的な意思に出たものといえない情況にあること

(ニ)  従来、大阪電報分会における職場大会は、一職場のみの職場会と異り、分会が招集主体となり、分会役員が関与して開かれており、また会社就業規則(成立に争のない乙第一号証)第四条第二項によれば、職場大会のために局舎を使用する場合は管理者の承認手続を必要とする建前になつているし、さらに組合活動に関する協約(成立に争のない乙第二号証)第三条によれば、勤務時間中における現場勤務者(事務系統でない勤務者)の職場大会は禁ぜられており、そして実際上も概ね右就業規則、協約どおりに実行せられて来た関係にあることは、成立に争のない乙第二七号証の一、二、三、五、六及び前記証人東良幸男、高倉登(二回)の各証言によつて窺われるのであり、緊急時稀に右の例外はあつたにしても、本件の如く勤務時間中に、分会役員が全然関与せず、しかも職場を殆んど空席にして職場大会を開いた事例はいまだかつてなかつたことも(なお当時までに正規なストライキも行われていない。)右証言及び証人高橋米久の証言に照し明らかであつて、かような異常な事態が自然発生的に生ずるものとは容易に考え難いこと

等諸般の事情よりすれば、前記反対疏明資料は、自然発生的な外観を偽装する画策が行われたことの名残りを示すに止まり、前認定の如く、画策による作為的な職場放棄であることは動かし難いものといわなければならない。

(5)  本件職場放棄は、いわゆる山猫争議であるとともに、労調法第三七条違反の抜打争議である。

本件職場放棄は、職場大会の名の下に行われているが、職場大会といつても、職場内の問題を議題にして討議したというよりは、抗議集会的性格を多分に持つていたものであることは前認定の事実に照し自ら明らかであつて、右は一種の「時限スト」であるとともに、第二運用課、検査サービス課といつた職場を中心とする一種の職場ストであるということができる。

元来、職場は職場活動の母体であり、組合下部組織の一単位であるにしても、独自の規約と独自の活動分野を有する統一的な組織体ではなく、(職場委員、職場大会も組合の正規な機関でないことは証人徳永正三(二回)、同山田克己の各証言によつて明らかである。)独自の団体交渉権をもたないのであるから(もし、これを認めるときは、使用者において一職場と有利な協定を結ぶ等支配介入的な不当労働行為を誘発するおそれがあるし、職場も組合全体の意思を無視したいわゆる頭越しの協定を結ぶおそれを生じ、実際上も幣害が大きい点からも否定的に解すべきである。)、右団体交渉の決裂を前提とする争議行為についても、その主体たる適格を有しないものと解すべきである。従つて組合の指示、指令に基かない職場ストは、組合の統制に違反するは勿論、使用者に対する関係においても、労使交渉の基盤をもたない点において違法な山猫争議といわなければならない。

ところで、本件職場放棄につき、組合本部、支部は勿論、分会の指示、指令もなく、その組織の統制内で行われたものでないことは前認定のとおりであるのみならず、その目的たるや、総務部長の来訪実現といつた、組合の期末手当要求闘争の一手段に関係し、職場固有の要求を目的とするものでなく、しかも右につき現に分会が支部役員を交え、総務部長との間に交渉が行われている矢先に、勝手に職場で職場放棄が敢行されたのであり、それも自然発生的な外観を偽装しこれを掌握すべき責任者も秘匿されている始末であつて、かくの如きは労働争議の体をなさない無秩序な集団行動というべく、その違法たるや言をまたないところである。

さらに会社の営む電信電話事業が、労調法第八条所定の公益事業に該当し、従つて争議行為をするについては、事前一〇日までに労調法所定の機関に通知すべき、いわゆる予告義務が課せられていることは、同法第三七条に照し明らかなところ、本件職場放棄が、右予告義務に違背してなされた抜打争議であることは、証人肥爪亀三の証言(二回)その他弁論の全趣旨からこれを窺うに難くない。

而して、労調法が抜打争議を禁止する所以のものは、公益事業は一般公衆を対象とするものであり、その争議行為によつてその運営が阻害せられるときは、使用者のみならず一般公衆にも被害が及ぶのであるから、事前の予告により公衆をして被害避止に必要な処置を講ぜしめるためと、使用者をして争議行為回避のため一段の工夫努力をなさしめ、もしそれが不可避であれば、公衆の被害を可及的に防止するため万善の策を講ぜしめるためであるから、もし予告義務が遵守されないときは、公衆が事前に損害避止の処置をとる機会を奪うものであるのは勿論、使用者に対し、右の如き公衆の被害防止策を講ずる余裕を与えないものであり、かくの如きは、公益事業なるが故に使用者が負担する社会的義務を尽さしめず、使用者に対し、争議行為による通常の損害の上に、さらに精神的な、社会的な重圧を加えるものであるから、いわゆる抜打争議は公衆に対する関係において違法であるのはもとより、使用者に対する関係においても違法であり、労組法上の免責を失うものと解せざるをえない。

そうであれば、本件職場放棄はいわゆる山猫争議である点からしても、また抜打争議である点からしても違法であり、会社において右職場放棄に出た従業員に対し、その責任を追求しうることはいうまでもない。

(6)  本件職場放棄は会社側の不信行為に由来するものであるか、どうか。

本件職場放棄は、昭和二九年一一月の先例にならい、肥爪部長を大阪国際電報局に迎え、集団陳情を行うことを意図してなされたものであることは、前認定のとおりであつて、成立に争のない甲第二三号証、同第二五号証、証人肥爪亀三の証言(二回)によつて成立を認めうる乙第二一号証、同第二六号証の四、及び同第三二号証、証人肥爪亀三(一回)同高倉登(二回)、同東良幸男、同山本和美の各証言を綜合すると、昭和二九年一一月の先例とは、同年の年末手当要求闘争の最中である、一一月一九日会社の福田専務取締役と肥爪総務部長が来阪した機会に、大阪国際電報局長が分会の希望を容れ、右重役両名の承諾を得て開いた従業員と重役の懇談会を指すのであり、当時重役両名は鉢巻姿の組合員約五〇名と労働歌に迎えられて同電報局三階休憩室に入つたのであるが、懇談会とは名のみで、四方から激越な言辞を浴び、まるで吊し上げを受けたような結果に終つたので、肥爪部長は今回の来阪に際し、右の如き懇談会をもつ意思は全くなく、組合本部との団体交渉の際も、組合に対し、大阪へ赴き近畿の声を聞いて来ることを約したに止まり、その具体的な日程、計画を明らかにせず、内心では近畿支社に赴き、局所長会議や組合支部との団体交渉によつて現場の声を聞くを以て十分であると考えていたのであつて、前認定の如く分会の要求を拒否したのも、右の理由によるものであることが窺われる。もつとも大阪電報分会としては、前認定の如く組合本部に対し「重役を現場に寄越せ。」の電報を打つた位であるから、それが実現せられて本部より肥爪部長が来阪するとの連絡を受けるや、ただちに右先例の集団陳情が実現されるものと期待したというのも無理からぬ点がないではないが、それかといつて、肥爪部長に違約その他の背信行為があつたとはいえないことは、前記のとおりであるから、これを根拠に職場放棄の正当性を理由づけることができないのはいうまでもない。

三  つぎに叙上職場放棄の実態を背景とし、申請人等に対する被申請人主張の懲戒事由(この懲戒事由は申請人等が主張する、会社告知の懲戒事由と些少異るようであるが、いずれも右職場放棄ならびにこれに随伴する就業規則違反行為を対象とするものであり、かつ被申請人の主張は、右会社告知の懲戒事由をさらに具体化して明確にしただけで後記懲戒手続において審査されなかつたものを追加主張するものでないことは弁論の経過に照し明らかである。)の存否、ならびに懲戒解雇の適否について検討する。

(一)  申請人山口の場合

(1)  被申請人主張の二(1)(イ)の事実について

申請人山口が、前記職場放棄の行われた当日一二時過頃から職場を離れたことは当事者間に争がなく、その後一二時五五分頃全員職場に復帰するまで、就業しなかつたことは前認定のとおりである。

同申請人は右は、昼食休憩時間中のことに属するから、職場放棄にはならないと争うので按ずるに、同申請人の所属する大阪電報局第二運用課では従来より、一番と二番の交替制で各一時間の昼食休憩時間が与えられ、一番は午前一一時から一二時まで、二番は一二時から午後一時までと定められており、その割当は担当番の宰領(昭和二九年一月二六日付大阪電報局長通達により設けられたものであり、課長がこれを選任して局長に報告することになつている。)が出勤日毎に指定告知する建前になつていたことは、証人志水精次の証言(一回)によつて成立を認めうる乙第一五号証、証人肥爪亀三(一回)、同志水精次(一回)の各証言によつて疏明せられ、当日申請人山口の所属する第一分担の宰領は臨時に選任された吉田満邦であつたことは証人吉田満邦の証言及び第三者の作成にかゝり真正に成立したものと認める乙第四三号証によつて明らかであるから、同申請人の昼食休憩時間が、一番、二番のいずれであつたかは、宰領吉田がどう指定したかによつてきまるものというべきところ、証人福田良雄(第二運用課長)は、当日の申請人山口の昼食時間は一番である旨証言し、その根拠として(a)同申請人は後記の如く課長交渉に来て、午前一一時一五分頃から一一時五五分頃まで話しこみ、就業を命じても、昼食時間中であることを理由に応じなかつたこと、(b)同申請人が午前一一時から午後一時まで作業をした形跡が記録上皆無であるという点をあげるのであるが、右(a)の点については申請人山口本人の否定的供述はともかく、課長交渉における言葉のやりとりのさいとて、遁辞に使われた不実な言葉であることも考えられるし、また(b)の点は前記乙第四三号証(作業情況表)の作業実績に基くものと思われるが、同号証は、堀井関係部分については会社も真実性を否定し、その基礎資料たる、成立に争のない乙第三八号証における堀井関係部分の記載も不実であるとしているし、またその不実の記載のなされた経過、ならびに不実の範囲も明らかでなく、はたして、どこまで真実を伝えるものか疑わしい点があるのみならず、一番昼食の時間に作業した実績のないものは、ただちに一番昼食者であつたと断定できる必然的な関係はないのであつて、当日同申請人は、後記認定の如く、午前一一時から一二時までのうち約四〇分を課長交渉に費しているのであるから、作業のできた時間は前後の二〇分であり、その間申請人山口本人の供述によつて窺われるような記録に残らない作業をしたかも知れないし、または作業を怠つていたかも知れないことも考えられるのであり(このことは、前記乙第四三号証、ならびに第三者の作成にかゝり真正に成立したものと認める乙第三五号証の二(伊勢田善弘関係部分)、同号証の三(稲森順一関係部分)によつて窺われる如く、伊勢田善弘(第二分担)、稲森順一(第三分担)は、いずれも二番昼食者でありながら、午前一一時から一二時までの勤務時間中の作業実績は、伊勢田が一通、稲森が七通であり、他と比し著しく僅少であるのみならず、前同様真正に成立したものと認める乙第三五号証の一〇により窺われる如く、伊勢田は右勤務時間中に休憩室に参集していることからも推認できる)これらの諸点と前記証人吉田満邦(宰領)は、山口、堀井の昼食時間はとくに頼まれて二番に指定したと証言しているし、申請人田中本人は、当日自分が一番昼食になつたので、山口に二番昼食を依頼して、肥爪部長が来たときの処置を頼んだと供述し、申請人山口本人もこれに照応して、田中の依頼によつて二番昼食に廻つたと供述しているほか、前同様真正に成立したものと認める乙第三五号証の六の申請人山口関係部分の記載によつて明らかな如く、同申請人は昭和三〇年三月二九日の会社の調査に対し、「福田課長と交渉したのは勤務時間中と思つていた」と供述している等の疏明資料と対比して勘案するとき、前記乙第四三号証の記載及び福田証人の証言だけではとうてい申請人山口の昼食時間を一番と認めるに由なく、他にこれを疏明するに足る資料がない。

この点につき、被申請人は、申請人山口を二番昼食とすれば、一番と二番の割振りが頗る均衡を失うことからみても、同申請人は一番昼食であつたこと明らかであると主張する。なるほど前記乙第四三号証の一番昼食の時間に作業実績のないものを一番昼食者とし、そのうちから申請人山口を除くと残るのは吉田満邦と上田倭の二名だけとなり、(もつともこの両名は一二時五五分職場復帰後午後一時までの間に作業した実績を残していることは右乙第四三号証からも明らかであつて、証人吉田満邦の証言、前同様真正に成立したものと認める乙第三五号証の九中の上田倭関係部分の記載と相俟つて、同人等が一番昼食者であつたことは動かし難いが、申請人山口については右の如き作業実績もないこと前記書証上明らかであつて、この点からも同申請人に作業実績のある、なしは同人の昼食休憩時間とは無関係であるといえる。)第一分担の担当員九名に対し二番昼食者は七名となり、両者均衡を失するようであるが、当日は前認定の如く肥爪部長に対する集団陳情が予定され、その情報待ちのため、自然二番昼食を希望し一二時まで作業をしていたものが多かつたことは、前記吉田証人の証言、前同様真正に成立したものと認める乙第三五号証の六のうち井上栄治関係部分の記載から窺われるところであるし、また従来昼食時間は一方に偏し、作業に支障を来すときは調整することもあるが、大体希望通りに定められていたことは証人福田良雄、同宇野明信(一回)の各証言からも窺われ、かつ当日第一分担の昼食時間につき右のような調整が行われた形跡のないことは、前同様真正に成立したものと認める乙第三五号証の四の梶村孝男に対する調査書中「食事は二番であつた。自分はいつも食事は二番に行つている」との記載、前記乙第三五号証の五の吉田秀文に対する調査書中「食事は一二時から行つた。食事の交替ははつきりしなかつたが、宰領が行くなら行つてくれといつた」旨の記載、前記乙第三五号証の三の広田喜代治に対する調査書中「食事は一二時から行つた。分担宰領は誰か知らない」旨の記載から容易に推認できるし、また当時における職場の雰囲気からすれば、臨時の宰領たる吉田が組合活動家の堀井、申請人山口の二番昼食の希望を拒否し難い情況にあつたことも考えられ、現に第一分担に限らず、第二分担、第三分担においても、当日は異常な空気に支配せられ、正常昼食時間の指定、実施が行われなかつたことは、申請人田中本人の供述、前同様真正に成立したものと認める乙第三五号証の八中の浜敏男(第三分担の宰領)、前記乙第三五号証の三中の田中義一(第二分担の宰領)に対する各会社の調査書の記載に照して推認できるのであるから、前記吉田証人の証言する如く、当日二番昼食の希望者が殆んどであり、自分も二番を希望していたが、一番に廻りその余のものは、仕事も割合に暇であつたので希望通りに決めたということも、ありえないことではなく、吉田が組合活動に同調的であればあるほどその蓋然性も強いのであるから、被申請人主張のような人員の不均衡があるからといつて、申請人山口を一番昼食者と認めるわけにゆかない。

なお証人橋本光栄の証言によると、本件懲戒処分後、大阪電報分会(当時改組されて支部となる)は処分撤回を要求し、大阪電報局との間に団体交渉が行われたさい、堀井の職場放棄の有無につき両者の間に争を生じたのに対し、申請人山口についてはそのことがなかつたように窺われるが、右は同証言からも推認できるように、堀井については前記乙第三八号証の如き作業実施の証拠資料が現われたのに対し、申請人山口については有力な反対証拠がなかつたことに起因するものであつて、当時申請人山口は勿論組合も会社の主張を肯定していたものとは認め難い。

被申請人は、さらに、本件の如き交替制の昼食休憩時間制度の場合には、先順位のものが職場に復帰引継ぎを終るまで、後順位のものは所定の休憩時間が来ても当然服務を続けるべきであつて、離席休憩は許されないとして、申請人山口の昼食休憩時間が二番であつても、右引継ぎをまたずに離席した点において、職場放棄たるを免れないと主張するようであるが、交替制の昼食休憩時間につき被申請人主張の如き制限を認めるときは、先順位のものが職場に復帰しない以上後順位のものは当然所定の休憩時間を失うことになるのであるから、そのものが休憩時間の繰替を承諾した場合または協約、就業規則に休憩時間変更に関する規定があり、これに基き権限のある職制が休憩時間を変更し服務を命じた場合は格別、そうでない限り当然に後順位のものの服務継続義務を認めることはできないものというべきであり、被申請人の右主張は採用できない。

従つて、申請人山口の右行為を以て、就業時間中所属長の承認を得ることなく就業場所を離れたものであり、職場放棄に該当するものということはできない。

(2)  同(ロ)の事実について

右事実については、証人福田良雄は「当日志水次長が休憩室に行つて、私が電報の処理をやりかけると、山口(申請人)が来て、「総務部長に来て貰えるようにしてくれ」といい、これに相手にならずに仕事をしているとき託送課の甲斐主任が来、そうしている間に山口と田中(申請人)が来、私等の仕事しているその辺をずつとみて短時間で立去つた。」と証言しているが、申請人山口は職場大会の議長の役目にあつたこと前認定のとおりであるから、大会の意思決定があれば格別、そうでないのに課内を見廻るため、会場を離れるようなことは想像し難いところであるのと、右証言から当時課内に居合せたと思われる甲斐政次の局長宛報告書たる前記乙第一九号証、同じく課内に居つた筈の証人植田秀夫の証言は、いずれも全く右事実に触れていないし、証人奥村保造も堀井については、同人が機械台に上り、検査サービス課の方を見渡していたと証言しながら、申請人両名については何等触れるところがないのと、申請人両名本人の供述に徴するとき、右福田証人の証言は容易に信用し難く、他にこれを疏明するに足る資料がない。しかのみならず、申請人山口が、かりに鉢巻姿で課内に出入りしたとしても、鉢巻は前認定の如く、当時組合員の大半がしており、福田証人の証言する如く、課員の就業を妨げるために監視に来たものとは速断し難い。当時課内は福田課長、植田主任等二、三名しかおらず、殆んどが休憩室の職場大会に参加していたものであること前認定のとおりであるから、就業防止のための監視であれば、休憩室の出入口、その他もつと適当な場所でなされた筈であるし、また単に課内の情況を監視する態度をとつたというだけでは、他人の就業を妨げたともいえず、懲戒事由に該当するものとは認め難い。

(3)  同(ハ)の事実について

志水次長が、当日一二時二〇分頃休憩室において、申請人両名その他同所に集合していた従業員に対し、昼食休憩時間中でないものは即時職場に復帰就業すべき旨を命じたことは前認定のとおりであるが、申請人山口を以て当時昼食休憩時間外の一番昼食者となし難いこと前説示のとおりであるから、右就業命令の対象にならないものというべく、従つて同申請人が職場に復帰就業しなかつたからといつて業務命令に違反するものではない。

さらに、同次長の業務命令当時、申請人山口が同次長の背後に立つていたことは、証人志水精次の証言(二回)によつて窺われるところであるが、同申請人は志水次長に対し暴言はおろか一言も言葉を吐いていないこと、また同次長の行動を束縛する態度に出たこともなければ、その気配を示したこともないことは、右志水証人の証言ならびに申請人山口本人の供述から窺われるのであるから、同次長が威圧を感じたとしても、現場の雰囲気によるものというべく、それも僅か二、三分間で終つたことは前認定のとおりであつて、申請人山口が同次長を威圧監視して職場放棄の実をあげるのに努めたものとは認め難く、他にこれを疏明するに足る資料がない。

(4)  同(ニ)の事実について、

申請人山口が当日午前一一時二、三〇分頃から約三〇分間にわたり福田第二運用課長に対し、自己の勤務条件につき苦情を述べ、面談していたことは同申請人の認めるところであり、右面談の内容は、同申請人がかねてから福田課長に申出でていた服務替、即ち現在の日勤(午前九時から午後五時までの勤務)から三番勤務(午前九時から午後五時までと、翌日午後五時からその翌朝午前九時までの勤務)に移りたいという勤務変更の希望が一向に実現しないことに対する不満苦情であつたことは当事者間に争がない。

そして、証人吉田恒男、同福田良雄(一部)の各証言、申請人山口本人の供述を綜合すると、申請人山口は昭和三〇年三月初頃から、仕送り生活費に不足を生じたので、日勤に比し給料の高い三番勤務への服務替を希望していたのであるが、同月下旬三番勤務二組に勤務変更希望者がある由を聞知したので、これを福田課長に告げ両者の入れ代りによる服務替を要求したところ、夜勤組の吉田恒男が先順位の希望者だというので、同人に交渉して順位を譲つて貰うことにしたが、それでも希望が実現しないので、同課長に対し当日午前一一時一五分頃から右希望の容れられない理由の説明を求め、福田課長はこれに対し「三番二組の吉原副課長の承認が得られないから、」という理由を説明したのであるが、同申請人は納得せず、その不当を主張して約四〇分間話し込んでいたものであることが疏明せられる。

右の如く課員が服務替等自己の勤務条件につき、権限のある課長に対し不満をうつたえる苦情処理的な課長交渉は、事柄の性質上これが最も安易適切な苦情解決方法であるとともに使用者にとつて労務管理の全きを期しうる所以であるから、とくに特別な苦情処理手続が定められていない限りなるべく広くその機会を与えるべきであり、単に勤務時間中であるからというだけでは、これを違法、不当なものとすることはできない。ただ本件の如く不急の問題であれば、課員もなるべく仕事の合間を考え、かつ課長の手すきをみてなすべきは労働良識上当然であるとともに、課長も業務に支障がない限りこれに応ずべく、単に勤務時間中の故を以てこれを拒否することはできない。しかしながら交渉の仕方には自ら節度があり、不満の余り時として激越な言辞の出るのはやむをえないとしても、いわゆる吊し上げの如き多衆の威力により課長の自由を不当に侵害するような遣方が許されないのはいうまでもない。また交渉が長時間にわたり、言うべきことも尽きているにかゝわらず、しつこくねばり無用の繰返しを続けんとするが如きは、徒らに業務の停滞を招き、職場秩序を害するおそれもあるから、課長においてこれを拒否し、就労または退去を命じうることも当然であり、もしこれに従わないときは、就業規則によつて懲戒処分に付するとか、または賃金カツトに出る等適当な処分をとりうることはいうまでもない。

本件の課長交渉は約四〇分にわたり多少長過ぎるきらいはあるが、課長がこれを忍受応待している以上、ただそれだけでは違法に課長の業務を妨げたものとはいえない。この点につき、被申請人は課長において同申請人に対し退去を命じたのに対し、同申請人はこれに応ぜず、課長業務を妨害したものであると主張し、証人福田良雄も亦同申請人に対し、「仕事せよ」と命じたと証言しているが、右証言は申請人山口本人の供述に照し疑問の余地があるのみならず、かりに右証人の証言の如く、就業を命じたのに対し、同申請人が昼食時間であるとの言辞(これが真実と認められないことは前説示のとおりである)を弄し、応じなかつたのであれば、同証言の如く「仕事をせよと命じたことのうちには退去して貰いたいという気持を含めていた」というだけでは、退去を命じたものとはいえず、あらためて明確な退去命令を出すべきであつたにかゝわらずこれを放置し、その後も同申請人に引き摺られたものであろうが、同申請人の給料額、寮費生活費等について質問してみたりして話相手をし、午前一一時五〇分頃同課長が志水次長に呼ばれて離席するまで話合いが続けられたものであり、その間同課長がはつきり退去を命じたのに対しこれを拒否して、課長の身辺から離れなかつたというわけではなく、現に同課長が志水次長に呼ばれて離席しようとするや、あつさり話は打切られて立別れになつていることは右福田証人の証言(後記措信しない部分を除く)に申請人山口本人の供述を綜合して窺われるのである。もつとも福田証人は右は交渉というより吊し上げであつたと証言するが、その証言内容からはその心証は得難いし、他にこれを裏付ける疏明がない。

従つて、もし課長において、課長業務たる、回線情況監視のため離席しようと思えばできた筈であり、被申請人主張の如く課長業務が不当に妨げられたものとは認め難い。他方、当時は前認定の如く、一番昼食のものが僅少で、人員の減少も少かつたし、また通信業務も割合に閑散であり、申請人山口の担当回線に送受信の仕事があれば、ただちに近くの同僚課員が、これを応援処理できる態勢にあつたし、またかような相互共助は従来から屡々行われて来たところであり、同申請人の離席のため、送受信業務に支障を来したこともない点は申請人山口本人の供述によつて疏明せられる。

かつ、申請人山口本人の供述によつて成立を認めうる甲第三一号証、証人福田良雄の証言ならびに右山口本人の供述を総合すると、組合員の職場活動としての課長交渉は昭和二九年一〇月年末手当要求闘争の盛り上りとともに次第に活発化し、勤務時間中長時間にわたることもあれば組合員十数名が課長を取囲んで行われ、いわゆる吊し上げの恰好になつたこともあつたのであるが、これが昭和三〇年に入つてからも続けられ、勤務時間中の課長交渉も稀れではなかつたこと、会社は昭和二九年中に起きたものについては、団体交渉妥結のさいの取りきめにより、責任を問いえなかつたにしても、昭和三〇年に入つてからの分についても、その都度責任を追求することなく、不問に付して来たものであること、ならびに本件の課長交渉もただそれだけでは、従来と変つたところはないのであるが、会社はその後に生じた職場放棄との関聯においてこれを重大視するに至つたものであることが疏明せられる。

右の如く、申請人山口は、課長の退去命令を拒否して課長業務を妨害したものとは認め難いこと、その他課長交渉のため自己の業務に支障を来したわけでなく、また従来勤務時間中の課長交渉も不問に付されていた点を勘案するとき、本件が勤務時間中の、多少長時間にわたる課長交渉であるからといつて、ただちにこれを懲戒事由として取り上げるに値するものとはいい難い。

(5)  被申請人主張の三(三)(5)の指導的役割について

被申請人は、本件職場放棄につき、同申請人は指導的役割を果したものであると主張する。もし同申請人が職場放棄につき共謀、教唆の関係をもつ指導的役割を演じたものであれば、他の組合員を勧誘、強要して職場放棄に出でしめたものであり、会社就業規則第五〇条一八号第四条に違反するのみならずそのこと自体職場規律をみだすものとして同規則第五〇条八号に該当し(申請人主張の如く、会社は懲戒解雇にあたり、職場規律をみだした点をも懲戒事由の一つにしていることは、成立に争のない甲第一号証によつて明らかである。)右五〇条の責任を負うべきものであるので、以下この点について付加的な判断を加える。

申請人山口が、前職場委員として活発な組合活動家であり、かつ昭和三〇年二月職場委員辞任後も、後任の職場委員たる申請人田中をたすけ、その組合活動に協力して来たものであることは申請人山口本人の自供するところであり、これらの点よりすれば、本件職場放棄の画策、指導に同申請人も関与しているのでないかという一応の疑もないではないが、つぎの諸点すなわち、

(イ) 本件職場放棄の画策が行われたのは、午前一一時二〇分頃分会派遣団から悲観的な情報が入つてから後、午前一一時四〇分神戸国際電報局、相ついで午前一一時五〇分東京国際電報局に対し、電報停止の連絡がなされるまでの間であつたと考えられること前認定のとおりであるが、そのときすでに同申請人は、前認定の如く、課長席に赴き、課長と交渉を始めていたのであり、時間的な関係からみて、右画策に関与し、指導的な役割を果す余地はなかつたものと考えられること(この点につき証人福田良雄は、同申請人の課長交渉は、課内で行われた右画策を課長の目から遮断するための方便であつたと証言しているのであるが、右は同証人の想像に止まり、これを裏付ける資料はなく、措信し難いところであるのみならず、同証言自体、同申請人が、謀議の場から離れ画策の中心的存在でなかつたことを示すものといわなければならない。)

(ロ) 前認定の如く同申請人が当日の職場大会の議長になつたのは、大会に参集した組合員から推挙されたためで(この推挙も、弁論の全趣旨に照すとき、同申請人が会議の議事進行等、その運営につき経験を有する、過去の活動歴をかわれたものと考えられる。)、自ら議長の役をかつて出たわけでないこと、ならびに同申請人が、申請人田中とともに志水次長を呼びに行つたのも、大会の決議に従つたまでのことで、同申請人の発意でないし、また、証人山本和美、同近藤銀次郎の各証言によつても窺われる如く、議長として積極的な強硬意見を吐いたこともなければ、大会の議事進行を職場放棄の維持強化に導いて行つたわけでもなく、前認定のように大会終了のさいの最後の集約的な発言も寛藤孝のするまゝに委せて解散していること

もつとも、同申請人本人尋問の結果によると、同申請人は、(a)志水次長を迎えに行つたさい、福田課長に対し「あなたも一緒に休憩室に来て下さい。」といつて誘つたと自供し、また(b)午前一〇時半頃申請人田中に頼まれて二番昼食に廻り、同僚六、七名に対し、「昼食後休憩室に集つてくれ」と頼んで廻つたと自供しているのであるが、(a)の点は勿論(b)の点も単なる集会の連絡に止まり、一番昼食者に対し職場放棄を頼んで廻つたというわけでないのであるから、これらの事実だけでは指導的役割をしたものとは認め難いし、さらに前記課長交渉も専ら自己の勤務条件に関するものであり、職場放棄と直接の関聯性がないこと

(ハ) 同申請人本人の供述によつて窺われる如く、同申請人は三月一九日肥爪部長の来阪を知りながら、翌二〇日、二一日の両日とも組合事務所に行かず、二二日朝の宿明者の職場大会も途中から参加しながら最後までおらず、会社支社に赴く分会派遣団の高倉書記長の指示連絡も受けていないし、その後における分会派遣団との連絡にも関与していないのであつて、その他本件に顕われた全疏明資料に徴しても、本件職場放棄当時における同申請人の活動は、申請人田中、堀井(被懲戒解雇者)、山本、寛藤等に比し頗る消極的であり、同申請人本人の供述により窺われる如く、同申請人が職場委員を、その任期なかばで辞任した理由の一つとして、組合活動の負担が過重であつたことが示されているのと照応するような情況にあること

等の事情を考慮するとき、同申請人を以て職場放棄の画策者、または指導的役割を演じたものと認めることには躊躇せざるをえないのであつて、他にこれを疏明せしめるに足る資料はない。

(6)  叙上、被申請人主張の懲戒事由の検討により明らかな如く、同申請人に懲戒事由に該当する行為があつたものと認められないから、本件懲戒解雇は爾余の判断をまつまでもなく無効であり、同申請人は、依然として会社従業員たる地位を保有するものといわなければならない。そして、弁論の全趣旨によれば、被申請人は昭和三〇年四月一二日以降本件解雇を理由に申請人の就労を拒否していることが窺われ、また右就労拒否は叙上のとおり理由がなく、会社の責に帰すべき事由によるものと認められるから、申請人は、被申請人に対しなお雇用契約上の賃金請求権を失わないものといわなければならない。右賃金額は、労基法所定の平均賃金により算定するを相当とし、申請人の解雇当時の一カ月の平均賃金が金一二、三〇〇円であることは被申請人の認めるところであるが、これを超過する申請人主張の金額については疏明がないから、被申請人の認める右賃金額によらざるをえない。そして右賃金の支払期が毎月二五日であることは、被申請人の明らかに争わないところであるから、同申請人は被申請人に対し、本件解雇の翌日である昭和三〇年四月一二日以降毎月二五日限り、前記平均賃金の割合による賃金額を請求しうるものといわなければならない。

(7)  仮処分の必要性

同申請人本人の供述及び弁論の全趣旨によると、同申請人は賃金を唯一の収入源とする賃金労働者であるが、予てから家への仕送り等のため生活に困窮していたものであり、本件解雇後アルバイトによる僅少の臨時的な収入はあるにしても、貧窮の度は愈々募り、本案判決の確定をまつにおいては回復し難い損害を被るおそれあるものと認められるから、同申請人の本件仮処分はこれを求める緊急の必要性があるものというべきである。

(二)  申請人田中の場合

(1)  被申請人主張の二(2)(イ)の事実について

右事実は、職場離脱の行われた時間関係を除いて当事者間に争がなく、当日同申請人の昼食休憩時間は午前一一時から一二時までの一番であつたことは、同申請人本人の供述によつて明らかなところであり、その職場離脱の時間は午前一二時から一二時五五分までであつたことは、前認定のとおりである。

申請人は右職場放棄が自然発生的なものであることを前提として、職場委員の同申請人にのみ就労を求める期待可能性のないこと、同申請人をして他の組合員に対し職場に復帰するよう要求させることの至難な所以を主張するのであるが、本件職場放棄は自然発生的なものでなく、同申請人等首謀者の画策指導にかゝるものであり、かつ右職場放棄が違法であること前認定のとおりであるから、同申請人において自らこれを中止して就労すべき義務あるは勿論他の組合員をも説得して職場に復帰せしめるよう努力すべき義務あるものというべく、これを以て期待可能性なきもの、あるいは、難きを強いるものといい難いことは勿論であつて、申請人の右主張は採用の余地がない。

さらに、申請人は、自己の職場離脱は異常事態収拾のため、手待ちの休息時間を利用してなされたものであると主張する。本件職場放棄は同申請人等の画策にかゝり自然発生的なものでないのみならず、前認定の事実関係よりすれば、同申請人の行動を以て異常事態収拾のための職場離脱となしえないことはいうまでもない。つぎに会社の休息時間との関係について考察するに、前記乙第一五号証、成立に争のない乙第一四号証の一ないし四、同第二五号証、証人肥爪亀三(一回)同志水精次(一回)、同山田克己の各証言ならびに弁論の全趣旨によると、会社勤務者のうち申請人等の如き現場交替制勤務者の日勤については、その休憩休息時間は会社が日本電信電話公社(電々公社)より移行のさい組合との間で締結した約束事項(会社受入れ条件)に基き、電々公社の就業規則の条項が踏襲され、三〇分の休憩時間(公社就業規則第二五条)と五〇分の休息時間(同規則第二四条及び電労第二六号)が与えられる定めになつており、その休憩時間三〇分と休息時間のうち三〇分を加えた一時間を昼食時間として、前認定の如く午前一一時から午後一時までに二交替で与え、残余の休息時間二〇分は午前と午後の二回に一〇分宛に分けて与える定になつていたこと、もつとも休憩時間は会社就業規則第二四条では四五分と定められ、また労基法第三四条によつても四五分を必要とする場合であるので、休憩時間三〇分の不足する一五分は休息時間三〇分のうちからこれを補い、従つて一五分は形式上実働時間に含まれ有給でありながら、自由な使用を許すことにして、会社就業規則、労基法との牴触を避ける建前になつており、かつこれらの取扱いについては組合も異議なく、従来からそのとおり実行されて来たものであることが疏明される。

申請人は休憩時間は昼食時間の一時間であり、このほかに休息時間五〇分が与えられていると主張し、証人宇野明信(一回)はこれに副うような証言をしているが、前記疏明資料に照し信用し難く、他に前認定を覆しこれを認めるに足る疏明がないから、申請人の右主張は採用し難い。

而して二交替の昼食休憩時間は宰領の指示によつて具体的に与えられていたことは前認定のとおりであり、また前記乙第一五号証、証人肥爪亀三(一回)志水精次(一回)、同山田克己の各証言、弁論の全趣旨によると、午前、午後の休息時間についても一応宰領の指示によつて与えられる建前になつているとはいえ、実際は昼食時間と異り、一々宰領の指示によるのではなく、勤務者が各自交替で作業の閑散時を見計つて休息し、宰領はとくに休息者が一時に集中し作業に支障を来す場合を除いて指示制限しない慣行になつていたけれども、午前一一時から午後一時までの昼食時間中は交替で食事をとるため職場の人員が半減する関係上、休息時間をとる事例のなかつたことが窺われるのである。

従つて、同申請人の職場離脱はこの慣行に反する点からみても、また当時は前認定の如く課員殆んど空席であつた点からみても、この休息時間を利用しうる余地はなかつたものというべきである。しかのみならず、その職場離脱時間は五五分の長きに及び、かつ同申請人が職場放棄の画策者である点よりすれば、僅か一〇分の休息時間を利用して離席したものとは認め難く、申請人の右主張も亦採用し難い。

(2)  同(ロ)の事実について

同申請人が、堀井、申請人山口とともに鉢巻姿で第二運用課内に出入し、課内の状況を監視する態度をとつたとの点は、申請人山口について説示したのと同様の理由でこれを肯認し難い。

つぎに、同申請人が当日一二時過頃課員吉田秀文に対し、休憩室の集会に参加するよう伝えたことは申請人の認めるところであり、前記乙第三五号証の五中の吉田秀文関係部分によると、同申請人はその前から吉田に対し、「仕事をさぼれ」といつて、休憩室への集会参加を勧誘していたことが疏明せられるが、当日吉田は二番昼食で、集会参加は休憩時間中に属することも亦右書証によつて明らかであるから、右勧誘によつて同人の就労を妨げたものとはいい難く、これを以て就業規則に違反し、懲戒事由に該当するものということはできない。ただ同申請人が後記の如く、本件職場放棄につき指導的役割を演じたことを示す資料となるに過ぎないものというべきである。

(3)  同(ハ)の事実について

志水次長が被申請人主張の如く、休憩室において二回にわたり昼食休憩時間外のものの就業を命じたことは前認定のとおりであり、その当時同申請人は同次長の傍におり、その就業命令を十分聞きえたにもかゝわらず、これに応じなかつたものであることは証人志水精次の証言(二回)に照して明らかなところである。しかしながら、申請人山口の場合につきすでに説示したと同様、申請人田中が同次長に対し威圧監視するが如き態度をとつたとの点は、右志水証人の証言その地本件に顕われた全疏明資料によるも、これを認めるに十分でないから、右事実を前提とし、同申請人が職場放棄の実をあげるのに努めたものとはなし難く、この点に関する被申請人の主張は採用できない。

(4)  同(ニ)の事実について

同申請人が、当日被申請人主張の如く、大阪神戸一番線を使用して神戸国際電報局に対し、簡易局報(バタ)で一二時から通信を停止する旨回線連絡したことは当事者間に争がない。

そして、前認定の如き、当時における職場の情況と本件職場放棄が作為的なものであることよりすれば、右回線連絡は、課員の職場放棄を容易確実ならしめるとともに他課からの応援を防ぎ、職場を完全に空席にし、職場放棄を実効あらしめるためになされたものと考えるのが相当であり、申請人主張の如く、自然発生的に生起した職場離脱による混乱を避けるための緊急処置としてなされたものとはとうてい認め難い。

また右簡易局報は、元来通信疏通上の連絡、都合の打合せを行う業務通信であることは、申請人の自認するところであり、第三者の作成にかゝり真正に成立したものと認める乙第一三号証、証人赤井俊雄、同山田克己の各証言によると、簡易局報は業務通信にのみ使用さるべきものであり、かつその使用には監督者の承認印を必要とし、私用に供することは勿論、組合用務の連絡に使用することも原則として禁止され、ただ組合本部から支部その他の下部に対する緊急連絡事項につき、公衆電話を利用し難い場合に例外としてその使用が黙認されていたに過ぎないことが疏明せられる。

申請人は、組合事務の連絡は勿論、個人的な私用も黙認されていたと主張し、証人豊田陽は、相手局担当員との間で電報の送り方を手加減せよという連絡をしたり、時候の挨拶をしたり、雑談をしたりするのにも使用されていると証言し、また成立に争のない甲第三二号証、第三者の作成にかゝり真正に成立したものと認める甲第三四号証及び証人宇野明信の証言(四回)によれば、会社の禁止にかゝわらず、実際は個人的な私用や組合事務の連絡に会社回線が使用されていた形跡が窺われるのであるが、それだからといつて、ただちに会社が一般的にこれを黙認していたものとはいえないし、またこれを認めしめる疏明もない。ただ会社は右禁止の実をあげるために監視を厳重にし、一々違反を咎める態度に出ていなかつたに過ぎないものというべきであつて、本件の如き職場放棄の回線連絡を黙認する筈もないのであるから、同申請人の右回線連絡は会社の禁止規定に違背してなされた不当使用であるといわなければならない。

もつとも会社回線不当使用の点だけなら、それが軽微な違反であり、かつ従来不問に付されて来た関係からして、懲戒処分の対象として取り上げるに値しないといえるかも知れないが、本件は他の懲戒事由とともに職場放棄の手段的な内容をなすのであつて、他の懲戒事由や情況等を綜合した一体的な観点より懲戒事由とされることもやむをえないものというべきである。

(5)  そうであれば、同申請人の行為中、(1)の職場放棄の点は会社就業規則第五〇条二号、一八号、第四条一項、(3)の就業命令違反の点は同規則第五〇条三号、(4)の回線不当使用の点は右第五〇条一八号、第四条七項の懲戒事由に該当するものといわなければならない。

(6)  被申請人主張の三(三)(5)の指導的役割について

(イ) 同申請人が、前認定の如く、第二運用課日勤組の職場委員として、職場活動の代表的存在であり、かつ本件集団的職場放棄の画策者であること(右画策者の点は、一応さきに認定したところであるが、さらに付言すれば、この点は、前記乙第三号証によつて窺われる如く、同申請人が神戸国際電報局に対し、電報停止の回線連絡をしたさい、相手局担当員の質問に対し、「総務部長に圧力をかけるために職場放棄をするのだ」とか「総務部長が肝心の大阪電報を視察しないというので、こうしないと来ないから」とか「今支社の方で二〇名程動員して来させるようにしているが、そのバツクアツプだ」という趣旨の説明をしていることからみても、動かし難いところというべきである)

(ロ) 前認定の如く、神戸国際電報局に対し、電報停止の回線連絡をするとともに組合員豊田陽に意を含め、名古屋国際電報局に対しても電報停止の連絡をなさしめ、これらによつて職場放棄の実をあげるとともに、前記乙第四号証によつて明らかな如く、他局の業務にも支障を生ぜしめていること

(ハ) 前認定の如く、第二運用課所属の組合員に対し、昼食後の職場集会に参加を連絡勧誘し、とくに課員吉田秀文に対しては職場放棄を勧誘していること

(ニ) 同申請人が当日朝の宿明者の職場大会に参加して、総務部長を迎えに支社へ行く分会派遣団の高倉書記長より爾後の準備態勢の指示を受け、その後における分会派遣団との連絡接触に関与し、申請人山口とともに志水次長を呼びに行き、同次長に対し休憩室の職場大会に来るよう積極的な要請をしていること前認定のとおりであり、そのほか前記乙第三五号証の六中の同申請人関係部分、成立に争のない乙第四五号証(二六頁、三八頁、六一頁)及び証人鷲津章の証言(ただし一部)によつて窺われる如く、課長を職場大会に呼出して圧力をかけ総務部長の来局を実現させるため、これが呼出につとめていること

等の諸般の情況を総合すれば、同申請人が本件職場放棄の画策者であつて、指導的役割を演じたものであることを認めるに難くない。

(7)  よつて以下申請人主張の懲戒解雇無効事由について順次検討する。

(イ) 本件解雇は不当労働行為であるとの主張について前記甲第三一号証に申請人田中、同山口両名本人の供述を綜合すると

申請人田中は昭和三〇年二月、申請人山口の職場委員辞任後、職場委員に選任せられ、その後組合近畿支部代議員にも選任せられた組合活動家であり、その主な組合活動歴として、(a)昭和二九年の年末手当要求闘争のさい組織された青年行動隊に加入し、職場の民主化を叫び、その所属する第二運用課において課員吉田恒男の配置転換に反対し、長期にわたる課長交渉によつてこれを阻止し、(b)課長の行う祝祭日出勤者の選定に反対し、課員の声を反映せしめるべく課長交渉を重ね、(c)職場の騒音防止設備の要求、その他一人一要求運動によつて集められた課員の要求について、課長交渉を繰返すとともに、職場の要求、不満をビラに記載して貼付するビラ張り運動を展開し、(d)昭和三〇年の本件期末手当要求闘争にあたつては、前認定の如く、組合本部に対し、「重役を現場に寄越せ」との打電をする等、終始活発な組合活動を続けて来たものであることが疏明せられ、さらに同申請人本人の供述ならびに証人福田良雄の証言によると、同申請人が右の如く活発な組合活動家であることは、志水次長も熟知していて、同申請人に対し、課長交渉の行き過ぎを注意したこともあることが窺われるのであるから、特段の事情なき限り会社もこれを了知していたものと認めるべきであり、この点に関する肥爪証人の証言(二回)は措信し難く、他にこの認定を妨げるに足る資料はない。

しかしながら、本件における集団的な職場放棄は、山猫争議としても、抜打争議としても違法であること前叙のとおりであるから、同申請人の職場離脱、業務命令違反、会社回線不当使用等、職場放棄と一連の関係に立つ行為は正当な組合活動より逸脱し、不当労働行為制度によつて保護さるべきものとはいい難い、しかも、右職場放棄の規模は前認定の如く、第二運用課の殆んどを、また検査サービス課の過半数を空席にし、約五〇分にわたり右両職場をまひ状態におき、重要な通信業務を阻害したものであるとともに、同申請人はこれが画策者であり、指導的役割を演じたものである点を考慮するとき、前記の如き組合活動歴の有無にかゝわらず、会社においてこれを重大視し、不問に付しえないのは当然であるから、本件懲戒解雇を以て、同申請人の前記組合活動を嫌悪し、これを排除せんがためになされたものとはいえず、むしろ右の違法な職場放棄を直接かつ決定的な動機とするものというべきであるから、この点に関する申請人の主張は採用できない。

(ロ) 申請人の信条を理由とする解雇であるとの点について

申請人は本件懲戒解雇は申請人の信条を理由とするもので、憲法第一四条、労基法第三条に違反し無効であると主張するが、前認定の如く、本件解雇は同申請人の職場放棄、業務命令違反、会社回線の不当使用を理由とするものであつて、同申請人が共産主義者またはその同調者であることを理由とするものでない。

申請人が右主張の裏付けとして援用する会社重役の言葉は、証人橋本光栄の証言に照し、右認定を覆すに足るものとは考えられないし、他に申請人の主張事実を認めしめるに足る疏明がないから、申請人の右主張も亦採用し難い。

(ハ) 本件解雇は就業規則の適用を誤つたものであるとの主張について、

申請人は、申請人の行動が就業規則第五〇条に該当する場合でも、他の処分はともかく、免職事由には該当しないと主張する。

会社の懲戒権は、労働契約によつて媒介される就業規則に、その法的根源を有するものと解すべきであるから、使用者の指揮命令による経営秩序が排除される争議行為の場合には、平常時を対象とした就業規則の懲戒規定がそのまま適用されるかどうかの問題を生じうるが、本件の集団的職場放棄は前認定の如く、それ自体違法であり、争議行為の軌道に乗らないものであるから、当然就業規則の懲戒規定の適用を受けるものといわなければならない。

ところで会社就業規則(前記乙第一号証)によると、その第五〇条には懲戒事由をかかげるとともに第五一条には懲戒の種類として免職、出勤停止、減給、譴責の四種類を規定している。右は、懲戒の種類を明にするとともに、重いものから軽いものへの情状による段階を示したものであり、これが選択は会社の裁量にあること勿論であるが、恣意的な選択が許されないのはいうまでもなく、懲戒事由及びその情状と対比し客観的な相当性をもつたものでなければならない。とくに懲戒解雇は単なる解雇以上に退職金の剥奪等労働者に与える不利益は大きいのであり、かつまた一般の解雇自由の原則の適用を受ける場合でないのであるから、その妥当性は当該労働者をそれ以下の軽い処分に付する余地のない場合に限られるものというべく、裁判所は使用者の懲戒規定適用の当否は勿論その情状酌量の当否に至るまで関与して法的判断を加え、右妥当性を欠くときは無効の判定をなしうるものと解すべきである。(従つて、公務員等に対する特別権力関係に基く懲戒処分の如く、裁量権のはばを広く解し、裁判所の審査が懲戒事由の存否、懲戒処分が社会観念上著しく妥当を欠くか、どうかに限局されるものとは解し難い。)いまこの観点に立つて、申請人田中に対する懲戒解雇処分が相当であるかどうかについて考察するに、前認定の如く、申請人田中の懲戒事由たる職場放棄、業務命令違反、会社回線不当使用の事実は、単に偶発的に同人のみがなした単独行為ではなく、集団的な職場放棄の一環としてなされたものであり、しかも、同申請人が画策者、指導者であること、かつ右職場放棄は約五〇分にわたり、そのため送信一二一通は、平常時に比し平均一通につき約三六分づつの遅延を来した外、同申請人の電報停止の回線連絡により神戸国際電報局等の他局の通信業務にも支障を生ぜしめていること、電気通信事業は送受信の迅速確実を生命とし、一分時でも所要時分の短縮をめざし努力さるべき性質のものであることはいうまでもなく、かつ公衆通信事業本来の使命から高度の公益性を有し、公衆電気通信法第一一〇条が正当の理由なく通信の取扱いをしなかつた場合の処罰規定を設け、労調法第八条、第三七条が前記の如く抜打争議を禁止している所以もこゝにあることは勿論であり、とくに会社の取扱う国際通信は外国貿易その他国の政治経済に直接関連するだけに、その停廃による影響の重大であることは言をまたないところであり、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認める乙第五六号証の一ないし四、同第五七号証の一、二、同第五八号証の一ないし三、同第五九号証の一二、その他弁論の全趣旨によつて窺われる如く、会社は、組合より争議予告通知を受けるや、組合との間に保安協定を結び、争議行為の規模、態様の事前通告、業務停止に伴う管理者への引継ぎを確実ならしめるとともに、保安要員の差出しを受ける等、利用者の損害回避のため万全の策を講じ、とくに重要通信(人命保全電報、医事通報、気象電報等)は争議行為中といえども、その疎通を中絶せしめないよう慎重な配慮を用いているのであるが、本件の如き違法争議においては、右の如き対策を講ずる余地がなく、公益事業を営む会社として、社会的負托に背くことに対する苦痛は甚大なるものがあると推察される等、諸般の事情を考慮し、かつ前記乙第三五号証の六の同申請人関係部分によつて明らかな如く、同申請人はその後昭和三〇年三月二九日に行われた稲井大阪電報局長の調査にあたり、拒否的な黙秘的な態度に出るのならいざ知らず、同局長の終始真面目な質問に対し頗る不真面目な応答を繰返しており、その反省、改悛の望みをかけられない情況にあつたことを勘案するとき、その年令からみて思慮の熟さない、過激な行動に走りやすい若年時代(年令の点は申請人田中本人の供述から窺われる)の越軌行為であり、かつ、被申請人自認の如く、利用者から実害の苦情がなかつた点を考慮に入れても、会社が経営秩序維持のため、同申請人の排除と他の従業員に対する他戒の趣旨から、同申請人に対し懲戒解雇処分に出たことを以て、妥当性を欠いた過酷な処分であるとはいい難い。従つて、就業規則の適用を誤つたものとする申請人の主張は理由がない。

(ニ) 懲戒解雇手続に違反するとの主張について

申請人は、本件懲戒解雇は就業規則第五〇条の予定する懲戒手続によらず、かつ申請人に弁解の機会を与えずしてなされたものであるから、無効であると主張する。

前記会社就業規則第五〇条は、一ないし二〇号の懲戒事由を列記し、各号の一に該当する行為があつたときは、別に定めるところにより懲戒する旨を規定している。右は別途に懲戒手続に関する規定が制定されることを予定しているものというべきであつて、証人肥爪亀三の証言(二回)によると、会社は同条の別に定める懲戒手続として、会社の重役会において審査決定することに定め、従来からそのとおり実行されていることが疏明される。会社の業務執行は取締役会がこれを決定するものであることは商法の明定するところであるから、会社の右懲戒手続は、取締役会が代表取締役に専決権を与えず、自ら審査決定することを必要とした点に意味があるというべきである。ところで使用者の懲戒権の行使は就業規則に懲戒事由と懲戒の種類が明定されておれば、これを以て足るのであつて、賞罰委員会等特別な機関の設置関与を必要とするものではないのみならず前記就業規則第五〇条は、別に定める懲戒手続について何の制限も付していないのであるから、使用者はその制定権に基いて自由に懲戒手続を定めうるものというべく、会社が前記の如く重役会において審査決定する定めをしたからといつて、就業規則に違反するものではない。従つて、会社が前認定の如く重役会の決定に基いてなした本件懲戒解雇を以て、解雇手続に違背する無効のものとはなし難い。

また懲戒手続において、被懲戒者に対し弁解の機会を与えることは、懲戒を慎重ならしめる所以であり、好ましいことには違いはないが、懲戒権行使の本質的な要件でないこと前説示のとおりであるから、使用者が就業規則にこれを規定し、自ら制約を付した場合は格別、そうでない本件の如き場合にあつては、単に弁解の機会を与えなかつたということだけで、懲戒処分を無効ならしめるものとは解し難い。

従つて、前記申請人の主張も亦理由がない。

(ホ) 解雇権濫用の主張について

前認定の職場放棄の規模、態様、同申請人の演じた役割その他諸般の事情を考慮するとき、本件懲戒解雇を以て解雇権の濫用とすることはできないから、この点に関する申請人の主張は採用の余地がない。

(8)  そうであれば、申請人の本件懲戒解雇が無効であるとの主張は、いずれも理由がなく、申請人は会社の従業員ではないのであるから、右従業員たる地位にあることを前提とする、同申請人の本件仮処分の申請は、被保全権利を欠く点において、すでに失当であるといわなければならない。

四  以上のとおりであつて、申請人山口の仮処分申請は、従業員として取扱うべき旨の地位保全と前認定の賃金の支払を求める限度において理由があるから、保証を立てしめないでこれを認容すべく、申請人田中の仮処分申請は理由なきものとしてこれを却下することとし、訴訟費用の負担につき、民訴法第八九条第九二条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 金田宇佐夫 山中孝茂 新居康志)

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